3月21日

 本日、書店訪問。同行者は光文社K編集長とMさん。
・三省堂書店神保町本店さま
・三省堂書店有楽町店さま
・八重洲ブックセンターさま
・丸善丸の内本店さま
・三省堂書店池袋本店さま
・紀伊國屋書店新宿本店さま
・ブックファースト新宿店さま
・有隣堂恵比寿店さま
 有難うございました。
 朝っぱらから内田康夫さん休筆のニュースを知る。しかもそれに伴って、現在毎日新聞に連載中の小説を書き継ぐ者を公募で募集するとのこと。全体の六割はできているのだが、内田さんはプロットを立てないまま書き進めるタイプの人なので、応募する人は苦労するのではないか。
「プロアマ問わずですからね。でも賞金がいいから」
 予想だが、これはプロからの応募が多くなるのではないか。ただし、内田さんの文章は本当にストレスなく読める文体であり、これに拮抗する文章力となるとなかなか困難。これはほとんどの同業者が同じ意見なのだが、こねくり回した文章なんて誰でも書ける。本当に難しいのは平明な文章で場面も心理も読者にすぐ理解できるよう描写することで、これはよほどの文章力がなければ不可能なのだ。ついでに言えば新人賞投稿者の文章が読みにくいのは全てこねくり回そうとしているからで、その時点でマイナス評価になっているのは憶えておいた方がいい。
 事務所に戻ると、三社から原稿督促のメールが入っていた。即刻、執筆を再開する。

3月22日

 13時30分、新潮社Mさん・Tさんと打ち合わせ。文庫の新担当がTさんになるとのことで初顔合わせとなる。Tさんは入社してまだ間もないとのことで、まあ何というか新鮮。早速『月光のスティグマ』文庫化について話を進める。
 Mさんは四月より純文担当とのこと。純文の作家さんはエンタメ系の作家さんに比べて気難しい人が多いので大変でしょう、と聞かなくてもいいことを聞いて困らせてみる。何てひどい男だろう。
 これはれっきとした悪口なのだが、ある純文の作家さんは自著が売れないのを出版社の責任にして担当者に嫌味を言っているらしい。大体、プライドの高い人間ほど自分の思い通りにならないと他人のせいにしやすい(ついでに言うと、自己評価の高い人には変な人が多い)。これは我が身を省みて言うのだが、本が売れるのは出版社の尽力の賜物であり、売れないのは作家の責任だ。少なくともそう考えた方が精神衛生上ずっとよろしいし、次につながる。
 最近の新人作家さんについて話が移ると、やはり内容が暗くなる。
「年四回の締め切りなのに『もう書けない』とかで引き籠もる人もいるんですよ」
 愕然とする。きっとその作家さんは小説を書くのを職業だとは捉えていないのだろうなあ。
「社会人経験のある作家さんは、概してまともな人が多いんですけどねえ……」
 15時、文春のIさんより電話。
『〈静おばあちゃんと要介護探偵〉の原稿の進み具合はいかがでしょうか』
 はいっ、分かってますっ、何とか月末には。
 ふとスケジュール表を見ると、まだ片づけなければならない締め切りが六本も残っているではないか。

3月23日

 9時、注文していた『シン・ゴジラ』UHD盤が到着する。
 仕事が終わるまでは我慢と思っていた。何しろまだ締め切りが六本も残っているのだから。だが、ああ、僕にとって映画こそ生きるための活力。是非とも大画面で観賞していたいという誘惑に抗しきれず、ソフトを抱いたまま新幹線に飛び乗ってしまった。そう、たった一本の映画を観んがために岐阜の書斎まで帰ろうというのだ。担当の編集者さんたちに申し訳なく、腹を切ろうとさえ思う。ただし映画観賞と原稿書きとゲラ直しと刊行打ち合わせとインタビューと書店訪問とファンレターの返事とたまの食事と睡眠が終わった後で。
 家に戻るなり、早速書斎に引き籠る。そしてUHDソフトの再生。おおおお、この距離と画質はTOHOシネマズ新宿での初見に肉薄しているではないか。結局そのまま2時間を費やした後で執筆に戻り、一本を書き終える。ひと息吐いていたら今度は特典映像に興味があり、ほんの30分だけのつもりが、気づいた時にはディスク二枚分合計332分を観終っていた。
 すぐ我に返って執筆を再開するが、既に時刻は19時をとうに過ぎている。いったいわたしはこの半日間何をしていたのだろうか。よし腹を切ろう。

3月24日

 朝から執筆していると、立て続けに複数の出版社からメールが届く。
『そろそろ締め切りですが、原稿の進み具合はいかがでしょうか』
『27日が最終期限ですよ』
『2月に提出予定だったプロットはどうなりましたか』
『掲載予定の文芸誌、ページを空けて待っております』
 本当に自分の遅筆さに反吐が出そうになるが、堪えて書き続ける。
 夜半過ぎ、KADOKAWAのFさんより電話あり。提出した『蕁草のなる家』でどうしても修正してほしい部分があるとのこと。
『日教組に入っている先生のことをとても悪し様に書かれていますが、読者に誤解を与える惧れがあります。何とかなりませんでしょうか』
 今ではずいぶん加入者も少なくなったはずだが、僕が学生だった頃、教員の八割以上は日教組だった。別に日教組に偏見を持っている訳ではないが、彼らの授業を受けた時の印象が悪過ぎたのだ。とにかく社会科に限らず、特定の思想を生徒に植えつけようとする先生が多かった。中には最寄りの駅でビラを配っている先生までいた。当時から僕は捻くれていて、誰がどんな思想を持とうが自由だが、それを他人に押しつけるのは違うんでないかいと思っていた。だから顔ではへらへらと笑っていながら、その先生の言うことは専門科目以外のことは聞き流すようにしていた。まさに面従腹背、嫌な子供の典型であり、思っていることは大抵相手にも伝わるので特定の教師からはひどく睨まれもした。そういう過去があるので、どうしても日教組やら特定の団体を斜に見てしまうことがままある(あっ、よく考えなくてもこれは立派な偏見ではないか)。
 僕は小説内では、なるべく自己の思想信条を主張しないように心掛けているのだが、今回はつい筆が滑ってしまったらしい。粛々と修正作業に没頭する。

3月25日

 岐阜では見ることができないが、本日『王様のブランチ』では谷原章介さんが最後の出演。それに伴って思い出の一冊として拙著『贖罪の奏鳴曲』を挙げていただいた模様。ブランチ効果は怖ろしい。それから二時間も経たぬうちにamazonで極端な動きがあり、『贖罪の奏鳴曲』が書籍の部の一位になった他、〈御子柴シリーズ〉が全て十位以内に、余勢をかって『カエル男』や『テミスの剣』までが上位に浮上してきた。やはりマスメディアの訴求効果は大したものだと感心するが、一方で複雑な感慨に浸る。
 12時30分、KADOKAWAのFさんとゲラについて最終調整。話していて気づいたのだが、僕とFさんでは公務員に対する印象がほぼ180度違っていた。
 つまりこういうことだ。僕らの世代はやたらと景気がよく、学校の成績のいい者は大抵民間に就職した。公務員、特に教職はそれにあぶれた学生が最後に頼る就職口だった。ところがFさんの時代は就職氷河期の時代で、成績のいい者は生活の安定を求めてまず公務員を目指したのだ。
 才能はカネのあるところに集まる。言い換えれば景気動向によって集まる人間の能力にばらつきが生まれる。従って同じ職種であっても、年代によって価値観が雲泥の差になってしまうという訳だ。僕らの頃は先生に「でも」なるか、先生に「しか」なれないという意味で「デモシカ先生」という言葉が流布したくらいだが、Fさんの頃には全く逆だったのだ。
 これもジェネレーション・ギャップの一つなのだろうなあ。

3月26日

 5月刊行予定『どこかでベートーヴェン』文庫版のボーナストラックとなる短編を執筆。タイトルは『協奏曲』。一読すればタイトルがダブルミーニングであるのが分かる仕掛け。本来は宝島社の法廷ミステリーのアンソロジーに所収予定の短編を転載する予定だったのだが、執筆陣の都合で遅れるため、文庫版の併録が先になってしまったという出版社のどんでん返し。
 言い換えれば法廷ミステリーとして完結した話である一方、『どこかでベートーヴェン』のサイドストーリーにもなっていなくてはならない。すると硬質な文章の短編でありながら、『ベートーヴェン』のソフトな内容にも沿っていなければならない。
 まだある。本編では岬洋介の父親をひどく無理解な人物に描写しているが、これはあくまで主人公目線であるためにそういう印象になっているだけであり、父親目線で描けばまるで違った風景になることも描かなければ書く意味がない。
 こうして並べてみると課題だらけ縛りだらけの短編なのだけれど、実はこういうのが大好きなのだ。「自由に書いてくれ」というのが一番困る。大体、制約の中で工夫するから面白いのであって、実際自由ほど不自由なものはない。これは生活においても同じことが言える。大体、世の中で一番自由な人間というのはホームレスの人たちではなかろうか。

3月27日

『協奏曲』75枚は何とか今日中に脱稿予定。途中までKさんに見せるが好反応だったので、このまま続ける。
 家にいても寝不足とエナジードリンクの過剰摂取をするため、妻から控えるように言われる。しかしまだ締め切りが四本も残っている状態でそんな健康的な提案に乗れるはずもなく、妻の制止を振り切ってドリンクに手を伸ばす。何だか中毒患者の家庭みたいだな。
 さすがに疲れたので一服し『シン・ゴジラ』を観賞。しかも今回は決定稿と見比べながら観る。あまりの早口で聞き取れないところや演出もシナリオで補完する。これはこれで贅沢な愉しみ方。
 同業者さんたちのツイートを眺めていると「兼業作家から専業作家になるタイミング」というお題で盛り上がっていた。ある作家さんは「本名よりもペンネームで呼ばれることが多くなる」ことを挙げ、また別の作家さんは「著述による収入が本業のそれの1.2倍を超えた時」とひどく具体的。
 こと生活に関わってくる話なので軽はずみなことは言えないのだけれど、僕にも目安のようなものがあって、その一つはアンケートである。つまり担当の編集さん全員に「自分は専業作家になるべきか否か」を聞いて回るのだ。これなど一番客観的かつ確実な回答が得られると思うのだが、一方で本人の心をへし折るという弊害も考えられるので迂闊に提案できない。誰か我こそはと思う新人作家はいねがー。

3月28日

 未明に『協奏曲』脱稿。続いて『笑えシャイロック』に着手する。こちらは連載をあと二回残すのみ。
 漫画家の羽海野チカさんがツイッターで自作への批判に対して物申しておられた。おそらく書評サイトか何かをご覧になっての反応だと思うのだけれど、きっと繊細な人なのだろうなあ。大体、物書きには繊細な人が多い。僕とは正反対だ。
 だからという訳ではないのだが、僕のサイトの愉しみ方というのはちょっと歪んでいる。たとえば自作のレビューを見掛けると、過去にその評者が何を読んでいるかまで遡る。そして文章と読書遍歴から「この人はこういう趣味嗜好をしていて、こういう考えを持っているから、今話題の『〇〇』という本を読んだら、きっとこういう書評を上げるに違いない」と予想して一人で悦に入るのだ。しかも、大抵当たる(第一、著者本人にしてみれば、書いている段階でどんな読者がどんな感想を持つかくらいは容易に見当がつく)。
 大体、「わたしは今月、こんな本を読んでこんな感想を持ちました」などとネットで公開する人の気持ちが全く理解できない。僕のような半可通にも、その評者の思想やら嗜好やらが透けて見える。そんなものは究極の個人情報であり、だからこそ図書館などでは個人の貸出記録を厳重に保護しているのに、レビュワーの人たちはそれを自ら進んで晒しているのだ。本当に、全く理解できない。

3月29日

 本日、花粉は絶好調。眠たくはないのだが、くしゃみの連発で頭が朦朧とし考えがまとまらない。執筆時点であまり考えるタイプではないからと高を括っていたのだが、そろそろ頭の中の台詞と打ち込む文言が違ってきた。ヤバい。人間として役立たずになる前兆だ。せめて頭だけでも通常運転に戻すべく強制的に寝る。おそらく身体が睡眠を必要としていたらしく合計で10時間も寝てしまう。あああああ、僕はとんでもないグータラだ。
 慌てて執筆を開始する。まだ頭はぼうっとしているが、考えずにキーを叩く今のやり方にして本当によかった。
 17時30分、娘より電話。滑り止めに受けていたホテルから書類選考を通過したとの報告。まだ就活は序盤戦だが、一つの収穫なので祝ってやる。
『それでさ、なんばに来てるんだけど急に時間が余っちゃって。お父さん、キングコングって面白いかなあ』
『パシフィック・リム』にハマる娘ならこれもいけるだろうと太鼓判を押しておく。ウチの娘好きだよなあ、怪獣映画。
 栃木県那須町で登山部の高校生8人が雪崩に襲われる。惨いと思う。子を持つ親として、彼らの親御さんたちの気持ちを思うと居たたまれない。珍しく妻が怒っている。
「だってさ、生徒なんだよ。先生から登れって言われて、危ないと思っても拒否権なんてないんだよ」

3月30日

 今日も花粉がひどい。鼻をかむのがほぼ十分おきで、そのうちティッシュに血が付着するようになる。鼻腔の血管がすぐ切れるからだが、血染めのティッシュを丸めてゴミ箱に放っていると、まるで昭和の文豪になったような気分になる(違う)。
 何とか『笑えシャイロック』50枚を脱稿。続けて「小説宝石」連載の『能面検事』に着手する。
 御子柴シリーズを連載している「メフィスト」最新号の表紙を見て少し驚く。七尾さんの「ドクター・キリオ」が連載を再開しているではないか。同作は以前「小説現代」に連作短編として掲載されたが、二回目がなかなか出なかったのでどうしたのかと気を揉んでいたが、掲載誌を変更してきたとは。
 小説を連載していても拠所ない事情で中断する場合がままある。同業者に聞いたことがあるが、こういうのは著者本人が一番気になるもので、下品な喩えだが金魚のフンよろしくいつまでも引き摺っているようで気持ち悪いのだとか。この感覚はよく分かる。長編小説で最後の一行を書き終えた時は、長い間踏ん張っていたトイレから解放されたような気分になる(多分、違う)。

3月31日

 喜多喜久さんがツイッターで専業作家になる旨を報告。これを明日やってしまうとエイプリルフールと思われるので本日中の報告にしたとのこと。まずはめでたい。他人が本人の就業形態を無責任にどうこう言うてはいかんのだが、こっちは一人でも多くお仲間がほしいのだ。
 やってみると分かるが、物書きほど潰しの利かない職業はない。大体〈元作家〉なんて肩書、聞いたことがない。あるとすれば議員になることくらいだが、あれは職業には非ず(いや、あれは職業だろうという意見もあるだろうけど、それはそれで失礼な気が)。実際、専業作家になってしまったら書き続けるか、さもなければ野垂れ死ぬか二つに一つくらいの覚悟がなければやっていられない。こういう業界にいて辛いのは〇〇新人賞を獲得してデビューしたはいいものの、その後が続かずにフェイドアウトしてしまう人が少なくない。担当編集さんからその後の消息を聞くと、却って作家デビューなんてしない方がよかったんじゃないのかという例が山ほどあるのだ。憧れ産業に従事している者が売れなくなると、本当にキツいのだぞ。

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