「『説明』はカタログを見たまま書くことですが、『描写』は自分の感覚を通して、イメージを1行に落とし込み、手垢のついていない表現をさがす努力です」
 第82回は、本講座出身作家の吉村龍一氏。同じく講座出身の、紺野仲右ヱ門氏(信吾氏、真美子氏の夫婦合作ペンネーム)の司会により、作家デビューするまでの経緯や、心がけていることなどについて、真摯に語っていただきました。

信吾 それでは後半トークショーに入ります。まずはデビューに至る経緯について、くわしくお聞きしたいと思います。デビュー作の、小説現代長編新人賞受賞作『焔火』(2011年受賞、講談社)を読んだときは、驚愕したというか、ノックアウトされました。こんなこと書いていいのかな、というほどえげつないことが、連続して書いてあって。人が死ぬ、ということを疑似体験してしまうような場面も何ヶ所かあるし、凌辱される場面もすさまじい迫力でした。

吉村 自分としては、えげつないとは思っていないんです。それが日常なのであって。なぜそういうことを書いたかというと、現代の日本では目にすることもないんですけど、インドあたりに行くと、道端に物乞いの方がいるんですよ。見ると、手がなかったり、片方の目がなかったりする。それは、レンタルチャイルドと呼ばれる制度があるんですね。赤ん坊がさらわれてきて、物乞いのおばあさんが同情をひくために連れて歩くんです。で、大きくなると同情をひけなくなるので、片腕を切り落としたり、目をつぶしてしまったりする。そういうマフィア組織が実際に存在していて、警察も買収されているので野放しになっている。そんな現実がある、と知ったときに「こんなことが許されていいのか」という思いがあったんですね。
今でこそ、人権という言葉が叫ばれている世の中ですが、ほんの百年ほど前まではそんな言葉もなかったし、ここ山形でも、身売りされていく女性がたくさんいました。実は山形県は、日本でいちばん多く、芸妓を東京に送り込んでいた県だった、という統計もあります。そうした中で、生きていくためにはどうすればいいか。その対極に、死が身近にあった時代を描きたかったんです。なので、残酷な場面もさまざまに出てきました。

信吾 どうして、そういうものを書きたいと思われたんでしょう。いまふうの文章というか、もっと一般ウケするような、スマートな小説もあるじゃないですか、選択肢としてね。その中でも、かなりストイックな分野ですよね。どうしてそこを選ばれたんでしょう。

吉村 なんででしょうね。やっぱり、自分の中にある、書きたいことは何かと考えると、先ほどの講座で「ストーリーテリング」と「描写」という話にもなりましたが、どうも自分はストーリーを作るタイプではないな、という思いが前からあったんです。描写がしたいな、という思いがずっとあったんですよ。ただ、描写だけしていても物語にはならない。たとえばこの(壇上で手に取っている)シャープペンシルのことを50枚書いても、誰も読まないですから(笑)。だったら、好きな描写をやりながら話を進めてみよう、好きなように書いてみよう、ということで、テーマに選んだのが、昭和初期の寒村だったんです。電気もガスも水道もないところで、人々はたくましく、生き物をとらえて、かまどで火をたいてご飯を食べていた。そうした共同体のありように興味があったので、そこを描写するところからはじめたんです。

真美子 吉村さんの書いた小説のうち、その原型を講座のテキストに出したものはありますか?

吉村 それはないですね。『焔火』は1回も出したことがなくて、初めて書いた長篇という感じでした。
……(思い直して)あ、違う違う。正確には、これは3回目の長篇でした。1作目を書いたのにはきっかけがありまして、そのころ私はまだみなさんと同じく、そちら(受講生席)に座っている立場の人間でした。短篇ばかり書いていて、プロになろうという気もさらさらなかったんです。それが、2009年に、この講座に常連講師としてお招きしていた打海文三先生がお亡くなりになりまして。よく私の作品におほめをいただいていた方なので、報せのメールをもらった瞬間に「俺がかわりに作家になろう」と思ったんですよ。

真美子 そうか、打海文三さんがきっかけだったんですね……。本当にかっこいい作家さんでした。講座の世話人の池上冬樹先生ともお親しくて、よくいらしていただいていましたね。

吉村 そうでしたよね。ここ(壇上)で漫才のようなやり取りを繰り広げられていましたね。

真美子 私も打海さんに講評していただいたことが、いい思い出です。大ファンだったんですけど、まだ講座のホームページとかないころだったから、どなたが講師でいらっしゃるのかわからなくて。初めて講座に参加して、池上先生に「こんど打海さんが来るよ」と言われたときには、もう後光が差して見えました。
 打海先生は、心臓のご病気で、本当に急に亡くなられたんですよね。

吉村 そうですね、本当に突然のことでした。そこでとっさに「俺がかわりに作家になって、世に出よう」と思ったんです。初めてほめてもらったのが打海先生で、「君はなかなか味わいのある文章を書くね」という言葉が印象深かったですね。

◆講談社との合縁奇縁/ライターズ・ハイ/ボツ原稿はどうする?

真美子 そのときのテキストは、どんな内容だったんですか?

吉村 たしか、やはり昭和の山の話だったと思います。打海先生が亡くなったのが11月だったんですが、そのとき募集していた新人賞で、しめきりのタイミングがよかったのが、小説現代長編新人賞(1月31日しめきり)だったんです。そこで250枚書いて、講談社に送ったんですね。そうしたら一次選考を通ったので「講談社には縁があるな」と思いまして(笑)。その次の年にまた書いて送ったら、今度は二次選考を通ったんですよ。

真美子 じゃあ、『焔火』は2011年受賞ですから、3年目ということですね。

信吾 その1作目と2作目は、もう捨てちゃったんですか? 吉村さんの書き方だと、それぞれ莫大な資料を読み込んで書かれたでしょう。

吉村 そうですけど、でも過去のものは捨ててますね。やはり新しいものを生み出していかないと。こないだ、部屋を掃除したら過去の小説が出てきたんですよ。実は講談社に送る前にも書いた長篇があって、某社の某新人賞に送ったものなんです。「これで絶対にデビューまちがいなし!」と、素人の怖さで思い込んでいたんですが、ぜんぜん連絡がこないから「忘れてるんじゃないか」と不安になって、出版社に電話しようかと思ったぐらいです(笑)。たまたまその原稿が見つかったので、読んでみたらもうひどいんですよ。先ほどの講評で取り上げた、中学生の方の足元にもおよばないほどひどい出来で。これじゃ無理だよな、とすぐしまいこみました。本当につまらない、まわりくどい文章の、ダメな小説でしたね。

信吾 でも書かれたときは「これは最高の小説だ」と思われていた?

吉村 自分ではそう思ったんですよ、そのときは! みなさんも経験があるかと思いますけど、それまで10枚とか20枚しか書いていなかった人間が、50枚書いて、そして200枚も書いてしまうと「これはすごいものが書けた!」と思ってしまうものなんです。心理のトリックですね。

信吾 ふつうだったら、苦労して書き上げた小説は「もったいない」と思いそうなものですが、それを捨てるというのは勇気がいると思います。

吉村 いやあ、ダメなものはダメ、と切り捨てることも必要ですよ。

真美子 捨てるか、とっておくかは、作家で分かれると思います。以前、志水辰夫さんと逢坂剛さんが講師にいらしてくださったとき、志水さんは「たとえ500枚書いても、ダメなものは捨てる」とおっしゃるのに対し、逢坂さんは「自分の出したものはツバでも惜しい」とおっしゃっていました(笑)。ご冗談かもしれませんけど。

信吾 私はとっておくほうです。自分で書いたものは、後から読んでもやはり面白い(笑)。でも、それは絶対よくないといわれていますね。同じものを別のところに投稿するのは、ご法度です。

吉村 だいたいにして、自分で「面白い!」「最高!」と思う作品に限って、ダメなんですよね(笑)。

真美子 寝かせておいたものを、半年とか一年ぐらい経って読み返すと「古いな」と思いますね。なので、部分的に使ったりするときでも、コピーせずに必ず書き直すようにしています。そうしないと、古い感じが残ってしまいますから。

◆海に生きる男、そして再会/清十郎の時代を生きる/アナログ時代への憧憬

真美子 吉村さんは『焔火』からずっと、わりと近い時代背景の作品が多いですよね。『海を撃つ』(ポプラ社)もそうですが、これらの作品を書くにあたって、とても力を入れて取材されているのがよくわかります。

吉村 『海を撃つ』は2016年の1月に刊行しましたが、実は震災前から三陸に足を運んでいました。私はどうもね、漁師さんとか、マタギとか、大きな獲物をとらえるハンターに惹かれるんです。この本の表紙は、青木繁さんの描かれた「海の幸」という、重要文化財にも指定されている絵を使っています。ふつうなら許可がおりないところを、担当者が頑張ってくれて、所蔵している美術館とかけあって使用許可をもらったんです。ここに(表紙を指さす)銛が描かれているんですが、私は中学生のころ美術の教科書でこれを見て、矢印だと思い込んでいました(笑)。
 で、私は震災前からずっと三陸に通って、漁協の漁師さんに話を聞いていたんです。突きん棒漁といって、銛でカジキを突いて獲るんですね。『白鯨』みたいに、巨大なカジキを仕留めるというシンプルな話なんですけど、そこに、海から糧を得る漁師の生き様を、ストレートに、骨太に書き込んだつもりです。オチも何もないそれだけの話なんですけど、自分の中では時間をかけて書きましたね。

真美子 取材を含めると4~5年はかかっているんですね。

吉村 何年にもわたって通いましたからね。そのあと震災をはさんで、この本が刊行されたとき、お世話になった方のところにお届けにあがったんです。ご無事でおられたので、仮設住宅で抱き合って号泣したという思い出もありますね。

真美子 いま表紙の話が出ましたが、『清十郎の目』(中央公論新社)も、とても印象的な表紙です。

吉村 斧のクローズアップですね。実は、あれはイラストなんです。寺西晃さんという、早川いくをさんのベストセラー『へんないきもの』(バジリコ)シリーズでイラストを担当された方が、描いてくれたんですよ。ラフスケッチを何枚も出してくださったんですが、シンプルに斧をアップにしたものがいい、ということであれに決めました。
 要は、昭和初期の山形が舞台になっているんですけど、当時、満州事変や日中戦争など、大戦へ向かうキナ臭い流れがあって、その状況が現代と似ているな、と思ったんです。言論統制しかり。言いたいことも言えずに、マスコミがろくに報じないところで勝手に法律ができてしまう、というところもすごく似ています。それに危機感を抱いて、時代の共通点を引き合わせようと思って書いた作品でした。

真美子 この作品の場合は、どのように取材をされたんですか?

吉村 あれはですね、当時のことを知っている方もどんどん亡くなっていますから、常にアンテナを張っておいて、数少なくなった、当時を知っている方からまず話を聞きました。地元の山形新聞も読んでいたんですが、戦後何十周年記念とかの記事で、満州を慰問された演芸団の方がインタビューされていたんですよ。いつも本を取り上げてくれる担当者にこの人を紹介してもらって、菓子折りを持ってお話を聞きに行きました。ドーンドーンと大砲の音が鳴りやまない中での、慰問興行について事細かに聞かせていただきましたね。それが2年前で、94歳ぐらいの方でした。昨年『清十郎の目』が出たときに、お届けにあがったんですが、残念ながらお亡くなりになっていて、ご報告できなかったのが心残りです。
 もともと、この話を書こうと思ったのはですね、上山市の湯の上観音寺というお寺に、湯女供養祭というのがあったのがきっかけなんですよ。かみのやま温泉は、江戸時代から参勤交代の旅籠町でもありましたし、また出羽三山を参拝する人たちのベースキャンプとしても栄えていたんですよ。

信吾 『清十郎の目』の舞台が、上山市へとつながってきましたね。

吉村 そうなんです。で、そのお寺のご住職が、私の高校時代の、国語の先生だったんですよ。
 湯女供養祭というのは何かというと、旅籠町で旅人をもてなし、夜伽もする湯女という人たちがいたんですね。そのように、ひたむきに生きながらも、歴史のすみでひっそりと散っていった方々の生き様を書きたい。桔梗という遊女を主人公の清十郎に添えることで、そういった歴史的な背景も醸したいと思ったのが、きっかけのひとつですね。

真美子 こういった時代に興味を持ち始めたのは、いつごろなんですか。

吉村 十何年か前ぐらいですね。現代にはない、アナログ的なものに興味があったんですよ。ちょうどパソコンや携帯電話が出てきたころで、「ちょっと違うよな」と思い始めたんです。便利になればなるほど、人間の距離が遠ざかっていくように感じたんですね。

◆身体感覚を描くということ/ダイナミズムとわかりやすさ、どちらを選ぶ/野郎二人のパンケーキ

真美子 ヒグマと戦う森林保護官を描いた『光る牙』(講談社文庫)は現代の話です。この小説はどうやって書き始められたんでしょう。

吉村 『光る牙』は、自分の好きな話を好きなように書いた、というところがありますね。基本的には自分の好きな話しか書けない。だからダメなんでしょうね(笑)。

真美子 でも、さっきおっしゃっていたような、身体感覚を描く、という点ではやはりつながっていると思います。

吉村 そうですね、だからさっきの講評で取り上げた塩崎さんの小説には、強いシンパシーを感じています。労働の書き方とか、すごく自分に似ているなという気がするんですよね。

信吾 『清十郎の目』を読んで私が驚いたのは、方言の使い方なんです。べらぼうに多いんですよ。しかも読者はわからないだろう、というのをほぼ無視して書いている。その開き直りに、強い思いを感じました。

吉村 実は、最初は標準語で書いたんですよ。でも担当者と打ち合わせるうちに、もっとリアリティがほしいという話になりましてね。方言が読者にはわからなくても、雰囲気で読み取ってくれるだろう、と思って。でも、あれでもわかりやすいように校正が入ってるんですよ(笑)。「夜わり」と書いたところに「夜なべ?」と赤ペンで書かれたりして。
 ただやっぱり私の場合、ストーリーで読ませるタイプではないので、方言で伝わるダイナミズムとか、時代背景とか、そのときの暮らしとか、そういうものの匂いをわき立たせたいんです。だから、方言はそのための確信犯ですね。

真美子 『海を撃つ』も方言ですよね。

吉村 これは、最初は北陸が舞台でそこの方言を使っているんですけど、中盤からは三陸に移って、そこの方言になるんです。そして、昭和50年代ぐらいになってだんだん方言も少なくなっていく。そういう流れです。

信吾 方言って、言葉って不思議ですよね。意味はわからなくても、ちゃんと伝わってくるものがある。

吉村 でも、やみくもに方言で書いているわけでもないんですよ。実はいろんな人の手助けを得ています。この『海を撃つ』については、姉妹講座「せんだい文学塾」会長の鷲羽大介くんが三陸出身なので、彼に電話して、方言指導をお願いしたんです。待ち合わせたのが、仙台港近くのアウトレットパークの喫茶店でね。周りはカップルばっかりのところで、むさ苦しい男ふたりでパフェとかパンケーキを食いながら(笑)、方言指導してもらったという思い出がありまして。

真美子 方言ってそのままじゃ書けないですもんね。書いたものをネイティブの人に直してもらって、またそれを、小説のリズムが変わらないように整えなければいけない。『海を撃つ』は、それがとても活かされていると思います。

◆角田光代先生の「三顧の礼」/愛され体質の秘密/「自衛隊は元気かね?」

真美子 これは会場のみなさん気になっていると思うのですが、吉村さんは、最初は小説家としてデビューしようとは思われていなかったんですよね。それが、変わっていったきっかけは何だったんですか。

吉村 それは、はじめに出した長篇が一次選考を通過したので「いけるな!」と勘違いしてしまったんですよ(笑)。本屋さんで売られている雑誌に、一次選考通過者は細字で、二次選考通過者は太字で名前が載るんです。これを見たときの感動がすごかったんですね。
 さらにきっかけがありまして、これなんです。
(手ぬぐいを広げる)
 これ、私がデビューしたとき、角田光代さんにもらった手ぬぐいなんです。実は角田さんに導かれたというのもきっかけなんですね。みなさんと同じように、この講座で作品を出して講評してもらっていたんですが、角田光代さんが講師としていらしたときに、幸い読んでもらう機会がありました。そこで「この人うまいね」とほめてもらえたんです。そこで「俺、いけるんじゃないか」とまた勘違いしてしまうんですね(笑)。講座が終わってからサイン会のときに、角田さんに「ありがとうございました」とあいさつしたら「あなた絶対プロになるよ」とおっしゃってくれたんです。それから講師を囲んだ懇親会があって、さらにその二次会までご一緒してくださったんですが、タクシーに乗って帰られるときに、俺の顔を見て「あなた絶対プロになれるよ!」と、またおっしゃってくれたんですよ(笑)。「角田さんが言うぐらいだから、俺はなるんだ!」と、そこで決めてしまいました。それはすごく大きかったですね。

真美子 角田さんは小説現代長編新人賞の選考委員なんですが、ひいきはしなかったとおっしゃっていました(笑)

信吾 書評や本の推薦文などからも思うのですが、吉村さんの周りには、応援してくださる方が多いですよね。角田さんにしても、花村萬月さんにしても、桜木紫乃さんにしても、伊集院静さんにしても。どうすれば、そんなすごい人たちに応援してもらえるんですか(笑)。

吉村 本当にありがたいことです。年に1回、講談社のほうで小説現代長編新人賞の授賞式があるんですよ。そこに、歴代受賞者として私も末席ながらお呼びいただくんですが、そこで、花村さんや伊集院さんたちにごあいさつする機会があるんですね。伊集院さんはなかなか名前を覚えてくれなくて、ごあいさつに行くと「よう、自衛隊」と言われるんですよ(笑)。

真美子 私にもおっしゃってました(笑)。伊集院さん、日経小説大賞の選考委員もしておられるんです。それで、授賞式でごあいさつしたときに「山形か、じゃあ自衛隊は知ってるか」って(笑)

吉村 自衛隊出身だ、ということだけは覚えて下さったみたいです(笑)。池上先生にも「自衛隊は元気かね?」と話されているとか(笑)。このように、気にかけてくださっているのはありがたいですね。

◆タヌキたちの導き/命の重さを実感して/男たちの絆の原点は

真美子 お話だけ聞くと、まず一次選考通過、そして二次選考通過、と、とんとん拍子に進んだみたいですが、実際には、一次通過と二次通過の間には、大きな山があると思います。そこはどのようにして越えられたんですか。

吉村 ひとつの賞に、1000本以上の作品が応募されてくる中で、選ばれるためにはどうすればいいか私も考えました。自分はストーリーで魅せるタイプではないので、だったら大好きな描写を書こうと思ったんです。
もともと、釣りが大好きだったんですよ。釣りをしたときに魚をさばいて食べたり、くん製を作ったりした経験があるので、それを活かして、タヌキをさばく場面を書こうと思ったんです。そうしたら不思議なことにね、目の前に次から次へとタヌキが現れてきたんですよ(笑)。道路で、車にひかれたタヌキを、1日に11体も見まして。これは「タヌキを書け」ということに違いない、と思って、内臓のようすなどをよく観察しました。持ち帰ってタヌキ汁にして食べる人もいますけど、私はそこまではしませんでしたね。
なんでそういうことをするかというと、命というものへの敬意があるんです。最近はよく考えずに「殺す」だの「死ね」だの言っちゃう人がいるじゃないですか。それがどういうことかわからないままに言うことの恐ろしさ、ですね。昔は、それこそスーパーで肉のパックとか売ったりしてなかったような時代は、年末にうさぎをつぶして、家族みんなでいただいたりしたわけですよ。それは草を与えて慈しんできた、ペットではない家畜です。それが自分たちの血肉になって、生きるためのご馳走になっていく。そういう思いがずっとあったので、遊び半分で命を粗末に扱うのではなく、生きとし生けるものの崇高な行為として、タヌキをさばく場面を冒頭に持ってきました。

真美子 そうですね、『焔火』は最初から最後まで一貫して、生きる・死ぬということがテーマになっていると思います。

信吾 人が生きるか死ぬかの切羽詰まった状況に陥って、そこから這い上がってくる姿を描かせたら、吉村さんは、つよいですね。短文でたたみかけてくる迫力には、からだがしびれてしまうほど圧倒されます。身体感覚を表す、ボキャブラリーも豊富ですし。『光る牙』に、「この世に存在するすべての苦悩をぶち込んだような旋律」という一文が出てくるんですが、吉村さんの文体にもそういう旋律があるように思います。
 話は変わりますが、どの作品でも師弟関係が描かれていますね。これは、師匠としてモデルになった人がいるんでしょうか。

吉村 実際にはモデルはいないんですけど、昔、『手錠のまゝの脱獄』(1958年、スタンリー・クレイマー監督)という映画を観たことがありまして。トニー・カーティスとシドニー・ポワチエが演じる、白人と黒人の囚人ふたりが、護送車の事故のため、手錠でつながれたまま脱走するんです。人種差別がさかんだった時代なので、ふたりは反目し合うんですけど、やがて人間どうしのつながりがクローズアップされていく。非常にいい作品で、日本の『網走番外地』(1965年、石井輝男監督、高倉健主演)にも大きな影響を与えています。
 そういうことから、男と男の友情、ひいては師弟関係みたいなものに惹かれますね。任侠ものだとか、あるいは高校球児の友情とか。言ってみれば疑似同性愛のような……俺は違いますけど(笑)、そういう世界に対する憧れみたいなものはありますね。

◆「描写」とは、そして「説明」とは?/手垢のついていない表現を求めて/吉村昭先生との出会い

信吾 ではこの辺で、受講生からの質問を募りたいと思います。誰かありますか。

男性の受講生 描写と説明は違う、という言葉が講評で出てきましたが、このふたつはどのように違うのか、お考えをうかがいたく思います。

吉村 これは難しいですね……。説明というのは、要するにカタログになってしまうんですよ。たとえばこの本(手に持った『清十郎の目』)の場合、高さ何センチで幅は何センチ、厚みがどのぐらいで表紙はこんな色だ、というのが「説明」です。それに対して「描写」というのは、自分が思ったことを書くんです。先ほどの講評でいえば、岸さんの『山桜の匂う頃』にあった、犬小屋に夫の遺品のセーターが敷かれていて、犬が寝転んだところがくぼんでいる、というのが「描写」です。これが「説明」だと、「直径40センチの犬小屋に、灰色のセーターが、四角く折りたたまれて敷かれていた」という書き方になる。何が違うかというと、「犬が寝転んだところがくぼんでいる」という一文で、その情景が浮かんでくるんですよ。そういう力を持っているのが「描写」です。
 難しい話になるんだけど、自分の感覚を経由して描くのが「描写」といえるかな。「説明」というのはカタログを見たまま書くもので、「描写」は自分のフィルターを通して、自分の感覚に引っかかった要素をピックアップする。だから、わずか1行の描写のために、何枚もの紙幅をついやすこともあります。

信吾 「説明」の文は、頭の作業。それが「描写」の文になると、意味や理屈よりも、自分の感覚のほうが大切になってくる、というわけですね。

吉村 そうそう、さっきの講評で取り上げた、塩崎さんの『標的』を見てみましょう。「戦士の彫像のような男が現れた」とありますが、これは説明になってしまっています。「戦士の彫像のような男」というのは、具体的にどんな男でしょうか? たとえばミケランジェロのダビデ像をイメージされる人も多いかもしれませんが、そのイメージをどうやって1行に落とし込むか。それが「描写」を考えるということです。手あかのついていない表現、誰も書いたことのない表現を探す努力が、「描写」することだと思います。

男性の受講生 お三方とも、作家を志すきっかけというか、小説に興味を持つきっかけになるような本が、幼少期などにあったかと思いますが、お聞かせいただけますでしょうか。

真美子 私は幼稚園児のときに持ち歩いていた、モーリス・センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)がすべての出発点ですね。本はそこから始まっています。いまも、ファンタジー系の小説がすごく好きです。

信吾 私はカミさん(真美子氏を指す)の影響で書き始めました。最初に書いたものは、ファンタジー系の文学賞の一次選考に通って、あれっと思ったんですが、読み返したらまるでダメでしたね。イメージだけで書いていました。
 文学に興味を持ち始めたのは『カラマーゾフの兄弟』を読んだときです。あの本を読んで、驚愕したんです。人間って捨てたもんじゃないなと。成人になってから読んだのですが、もっと早く、中学生か小学校高学年ぐらいで読んでいたら、自分の人生、もっと救われていたなと思いました。あれは完全に、人を救済する小説ですね。

吉村 実はですね、今日は偶然にもその本を持ってきていたんですよ。仕事場を整理していたら、私が多大な影響を受けた、吉村昭先生の『海馬(トド)』(新潮文庫)が出てきまして。
(机の上に本を出して見せる)
 これを手に取ったとき、「小説って面白えなあ!」と思ったんですよね。いつ買ったかというと(奥付を見る)、これは平成5年の本ですね。この短篇集を読んでから、「こんな小説が書きたい」という思いがずっとありました。北海道でトドを撃つ、寡黙な猟師の話なんですが、『海を撃つ』にもつながっているのかな、といまになって思います。
 これが、私のペンネームの由来にもなった吉村昭先生との、はじめての出会いでした。あやかって付けただけで、別に許可をいただいたわけでもないんですが、いまでも憧れています。

信吾 では時間となりましたので、今日の会はこれでしめさせていただきます。吉村さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。
(場内大拍手)

【講師プロフィール】
◆吉村龍一(よしむら・りゅういち)氏
1967年、山形県南陽市生まれ。2011年『焔火(ほむらび)』(第6回小説現代長編新人賞受賞)でデビュー。第2作『光る牙』は“生きとし生けるものすべてへの畏敬の念が静かに満ちている”(角田光代)と称賛されて大藪春彦賞にノミネート。著作はほかに『旅のおわりは』『オロマップ 森林保護官樋口孝也』『真夏のバディ』『息ができない』など。16年刊行の『海を撃つ』(ポプラ社)は“この作家の描写の力は尋常でないと脱帽した、まさに真の才能だ”と花村萬月氏に共同通信の書評で絶賛されている。

●『焔火』(第6回小説現代長編新人賞受賞)(講談社)
https://www.amazon.co.jp//dp/B009LFASPM/
●『光る牙』(講談社文庫)(大藪春彦賞にノミネート)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062930625
●『オロマップ 森林保護官 樋口孝也』(講談社) 
https://www.amazon.co.jp//dp/406218964X/
●『清十郎の目』(中央公論社)
https://www.amazon.co.jp//dp/412004842X/
●『隠された牙 森林保護官 樋口孝也の事件簿』(講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4062936518/
●『旅の終わりは』(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087450740/
●『真夏のバディ』(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4087453227/
●『海を撃つ』(ポプラ社)
https://www.amazon.co.jp//dp/4591148025/
●『息ができない』
https://www.amazon.co.jp//dp/419863971X/
●『海馬』吉村昭(著) (新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4101117306/
●『女たちの審判』  紺野仲右衛門 (日経小説大賞受賞)
https://www.amazon.co.jp//dp/4532171326/
●『携帯乳児』 紺野仲右衛門
https://www.amazon.co.jp//dp/4532171385/

Twitter Facebook