2月1日

 10時、ヤマト便で送られてきた長編のゲラの直し作業に入る。修正点は主に表記の揺れなので20分ほどで終了したが、黄色の付箋が花咲く中、一本だけ青い付箋が挿してあった。
『五体満足』は差別語ではないかというのだ。
 僕は考え込んでしまった。穿った見方をすれば差別語と捉えられないこともないだろうが、これがもし差別語なら『健常者』、『健康体』、『金持ち』、『普通』、『一般』、『すくすくと』、『自由』などは軒並み差別語になってしまうのではないか。第一、乙武さんのあの著書名はどうなるのだ。
 出版社さんを徒に困らせるつもりはないのだが、悩む。
 最近、妻を観察していると、とにかく国際政治に興味を持っている。国際政治というよりはトランプ大統領の政策とそれに対する諸外国の反応が気になるらしい。言い換えれば一般の主婦を巻き込むほど、かの地の大統領の立ち居振る舞いは奇異に映るということだ。
 どうなることやら。
 18時、執筆を続けるものの、どうしてもKADOKAWAの「文芸カドカワ」に迷惑がかかることが判明。平身低頭して二日の猶予を貰う。何と言うか、物書きのキャリアを積めば積むほど頭が低くなっていくような気がする。
 昨日一月末日は、乱歩賞やアガサ・クリスティー賞、小説現代長編新人賞といったメジャータイトルの募集締切日だった。そのせいだろうか、教えてもらった巨大掲示板の創作文芸板というスレッドを眺めると、投稿者さんたちがそれぞれに手応えなり次回への意気込みを書き込んでいる。その中に興味を惹くものが多々あった。
 数ある新人文学賞を順位づけし、〇〇賞は権威、××賞は論外などと悦に入っている人たちがずいぶんいるのだ。以前大沢在昌さんがその著書の中で、新人文学賞にも偏差値の相違があると書かれておられた。つまり将来的に直木賞など非公募の文学賞を獲れるか、作家として長命なのかでランク分けができるというのだ。
 これはある程度正鵠を射ているがあくまでも傾向であり、偏差値の高い新人賞を獲れば絶対に安泰かと言われたらもちろんそんなことはない。ビッグタイトルからデビューしても続かなかったり、ひどいのになると一年後にはもう忘れ去られた存在になったりする。
 正直な話、ジャンルごとの違いはあるにせよ、デビューしてしまえば後はその人の地力の問題でしかないと思う。どんな賞からデビューしようが残る人は残るし、残らない人は遅かれ早かれ消えていく。どこのどんな世界でも一緒だ。
 そんなことは投稿者さんたちも重々承知しているはずなのに、相も変わらず賞のランクづけから脱却できないのは、作家としてデビューすることよりも『〇〇賞受賞作家』という肩書が欲しいからではないのか。
確かに肩書は残るだろう。残るが、しかしそんなものは大抵の人間が忘れてしまう。忘れられた肩書には、もはや何の価値もない。実業でなく虚業なら尚更だ。
肩書を求めることほど空しいものはない。最近つくづくそう思う。

2月2日

 ようやく『能面検事』を脱稿、続いて「文芸カドカワ」連載用の『笑えシャイロック』に着手。こちらは一日半で仕上げなければ、続く「小説トリッパー」連載用の原稿が本当に間に合わなくなる。しかも今月は小の月で28日間しかない。つまり現時点で既に3日を無駄に費やしている計算になる。働け、中山。
とは言うものの、しばらく書いていると例の禁断症状が出てきた。
「もう締め切り過ぎてるんだよ」という天使の声を押しやり、
「一本くらいはいいよね」という悪魔の囁きに耳を貸して、『マイマイ新子と千年の魔法』を観賞する。
 いい。
 同じ片渕監督の『この世界の片隅に』に流れる通奏低音がこの作品にも流れている。
 観終って思う。優れた創作者は作品に名前をつける必要なんてないのではないか。誰が見てもあの作者の作品だと分かる。作品そのものに作者の名前が刻まれているからだ。
 きっと個性とはこういうものなのだろう。
 表層の派手さや奇抜な色使いではない。中身にこそ独自性が宿る。これは人間も同じ。

2月3日

 やはり「小説トリッパー」の原稿が間に合いそうにないので、担当Sさんに詫びを入れて締め切りを延ばしてもらう。1月の連載分だけでこの体たらく、連載が更に一本増え、おまけに日にちが3日も少ない今月はいったいどんな地獄が待っているのか。
 執筆中の『笑えシャイロック』、作中に現代アートの記述を差し挟む、と言っても当方に絵画や現代アートの知識は全くと言っていいほど皆無。それでも何とかエピソードとして消化できるのは、一色さゆりさんの『神の値段』を読了していたお蔭。昨年の「このミス」受賞作だが、著者の一色さんは現役のキュレーターでもある。従って作中の薀蓄はまさに現場仕込みの知識。こういうものを読んで自分の血肉にしない手はない。何とか本日中に脱稿しなければ。ひい。

2月4日

 KADOKAWAのFさんから執筆進捗伺いの電話が入る。今日は土曜日だというのに、担当編集さんに仕事をさせている。僕は何という悪辣な人間なのだろうか。これでまた長生きができる。
 たわけたこと言ってないで原稿書こう。
 昼食時、妻から大統領制についてあれこれと質問を受ける。彼女にしてみれば、何故あんな〇〇な大統領の××な命令に従っているのか不思議でならないらしい。
「だってアメリカは自由の国なんでしょ?」
 僕の拙い知識でどこまで納得させられるか分からないが、取りあえず説明してみる。やってみると分かるが、こうして他人に説明することで己の理解が深まることが多々ある。学校の先生や塾の講師が賢そうに見えるのはこのせいではないのか。
 21時、ようやく『笑えシャイロック』今回分を脱稿。続いて「小説トリッパー」連載用の『騒がしい楽園』に着手。こちらは100枚を4日間で仕上げなければならない。ふーっ。
 執筆中、大阪の旧友から電話が入る。
『ロト7で5億当たった』
 普通なら噓吐けと怒鳴るところだが、この友人の場合はそのケースに非ず。何しろ会社の経営者だから、そんな法螺を吹く必要がないからだ(法螺であっても、それはそれで面白いし)。僕が以前の会社に勤めていた時は、しょっちゅう税金対策の話に付き合わされた。今回も要はその5億円を何に使うかの相談だった。
『せやけど、先日〇〇銀行の支店長と話したんやけど、やっぱ昔の人はええこと言うな』
「どんな話だよ」
『おカネってな、寂しがりやからおカネのあるとこにしか集まらんのよ』(一発殴らせろ)
 お互い50も半ばを過ぎると、それほど欲しいものというのはなくなってくる。物欲や金銭欲、名誉欲やら性欲を満足させるためにエネルギーを費やすのがだんだん馬鹿らしくなってくるのだ。
 結局、『匿名で寄付でもしとくかあ』ということで話がまとまる(やっぱり殴らせろ)。

2月5日

『騒がしい楽園』を延々と執筆しているうち禁断症状が現れたので、すぐに『七人の侍』を観賞する。入手しているのはクライテリオン盤と東宝盤があるのだが、本日はクライテリオン盤。これをリアル4Kで観賞すると、ちょっと筆舌に尽くしがたいくらいの感動が得られる。スピルバーグ監督は新作に入る前によくこの映画を観るというが、その気持ちがよく分かる。とにかく映画に限らず全ての作劇の見本であり、観た直後に執筆にかかると、どんな傑作でも書けそうな錯覚に陥る(あくまでも錯覚)。
 妻が頭痛を訴えてくる。どうやら長時間パソコンの前に座っていたのが原因らしい。
「やっぱり長時間、同じことしていたら病気になるわね」
 それなら僕はどうなる。
「お父さんは最初からビョーキじゃないの」

2月6日

 11時、妻とデート。名古屋駅前の天ぷら屋で昼食を摂った後、某有名ブランド店にて買物。妻が躊躇しているようなので、「迷ったら買え」と古書を買う時の心得を伝える。実際、買わずに後悔するよりも買って後悔した方が、精神衛生上ずっといいではないか。結局ワンピース二着を購入し、妻は上機嫌。うん、奥さんの機嫌がいいに越したことはない(本当は恐妻家)。
 明日から人に会う約束が目白押しなので、そのまま新幹線に飛び乗って東京へ戻る。戻って早々の13時、宝島社のKさんと『連続殺人鬼カエル男ふたたび』のゲラ修正。予定では明後日までに戻さなくてはならないのだという。そんなに時間は必要ない。5分で終了。「このミス」授賞式の日取りはまだ決まらないとのこと。わははは、このまま3月までずれ込むかも知れんな。
 20時、KADOKAWAのFさんより電話。『笑えシャイロック』、今回分もOKとのこと。
『現代アートのバブルだとか、すごい興味深かったですー』
 いや、これも半分以上は想像の世界なので。
 その後、別の出版社さんから「今週、会えないか」というメールを三本立て続けにいただく。まるで見計らったようなタイミングで、どうも誰かに行動を監視されているような気がしてならない。
 とにかく、こういうことがあるので物書きは首都圏に仕事場を置いた方がいい。

2月7日

 10時、NHK出版のSさんと『護られなかった者たちへ』書籍化の件で打ち合わせ。同作品は連載中から書籍化になった際のことを考慮して執筆したので、大幅な修正は見当たらず。ただし原稿用紙で700枚近くになるため、このまま上梓すれば1800円になってしまうという。そんなバカ高い本が売れるのは一部の作家さんだけなので、何とか1600円台にするべく二人で知恵を出し合う。タダは困るけれども、なるべく安価で新刊を提供したいというのは作者も版元も同じ。とにかく来年1月の刊行に向けて充分なプロモーションをしていただけるよう、こちらも最善を尽くさないとなあ。
 15時、光文社のMさんと『能面検事』のゲラ修正。5分で終了。後は例によって四方山話。前回の続きではないが、やはり光文社さん現時点ではなろう系にはさほど積極的ではない様子。7年も業界にいるとそれぞれの出版社には社風があることが知れてくる。なろう系が肌にしっくりくるところとそうでないところが分かれても、それは当然のような気がする。
 そう言えば以前、なろう系のサイトに投稿する人たちのツイートやブログを眺めて気になったことがある。彼らはもちろんプロ作家を目指している人が大勢を占めるが、中には「数人の読者がいればいい」、「数が少なくても感想がもらえれば良し」、「投稿していればそれで満足」という人が少なからず存在する。僕はそれをどこかの何かにそっくりだとずっと思っていたのだが、最近になってやっと思い出した。
 地下アイドルだ。なろう系の作家さんや作家志望者さんというのは彼女らの精神構造に近いのではないか。その立ち位置や認知のされ方を含めて。

2月8日

 17時、祥伝社のNさんとゲラ修正。今回、浦安市を埼玉県に間違えるという大失策を犯す。五カ所ほどの地名修正で何とか事なきを得たが、本当にもう穴があったら入りたい。
 その後は雑談。何でも売れている作家さんは平均して五、六作を連載しているとのこと。きっと一作一作が死ぬほど売れているからその本数でも生活が成り立っているのだろう。一瞬、殺意が湧く。
映画『この世界の片隅に』は依然ロングランを続けており、各種映画賞を総なめにしている。何と言うか胸のすく思いだ。主役声優を務めたのんちゃんの評価は日増しに上がる一方だ。『あまちゃん』で一世を風靡してからこの活躍、もはや強運を越えて神がかってさえいる。日本は今、とんでもない才能を目の当たりにしているのではないか。
 それにしても思い出すのは例の事務所騒動があった際の各週刊誌の扱いである。僕の記憶では特に「週刊女性」辺りが〈能年玲奈、事実上芸能界を引退へ〉などという見出しで記事を書いていた。当然のことながら、こういう記事は書かれた本人にしてみれば風評被害以外の何物でもなく、「タレントの有名税」という逃げ口上は通用しない。あの記事を書いた記者さんと「週刊女性」は彼女の活躍をどんな風に見ているのだろうか。恥じる気持ちはないのだろうか。謝罪する気持ちはないのだろうか。

2月9日

10時、KADOKAWAのFさんと『笑えシャイロック』のゲラ修正。
「今回、ホントに情報量が多くて」
 金融小説というのは一面で情報小説でもある。担当編集者さんがそういう感想を抱いてくれたのなら、現時点ではまあ及第点といったところか。
 別作品の話から、どうも海外を舞台にした内容が巧みに回避されている印象があったので、思い切って質問をしてみた。すると「海外までスケールを広げて、ストーリーに纏まりがなくなるのが怖い」とのこと。ふむ、一理あり。読む方だって土地鑑のない場所を出されても困るものな(だったら異世界ものはどうなのだ)。
 異世界もので思い出したが、最近大手広告代理店が某出版社に「ウチと合同でなろう系の掘り起こしをしませんか」とプレゼンをかけてきたらしい。天下の博〇堂らしく、プレゼンの際には各種データを提示したようだが、人伝に聞く限り素人の僕でも提示できる内容のようだった。件の出版社は難色を示して話は流れてしまったのだが、広告代理店が乗り出した時点で既にブームの終焉が見えている。
 大体、〈なろう系〉などと言い出したのが誰かは知らないが〈系〉と呼ばれるとあたかもそれが一大ムーブメントのように錯覚してしまう。しかし実際に売れているのは一人だけである。僕が聞く限りその作家さんも出自がたまたま投稿サイトだったというだけで、かの系統全体に注目が集まっている訳ではない。もっと正確な言い方をすれば、その作家さんの出現でいったんはクローズアップされて各出版社が手を突っ込んだものの、二匹目のドジョウが見つからずに往生しているのが現状ではないのか。そんなところに広告代理店が口を出したら、辿り着くのはケータイ小説と同じ末路だぞ。
 14時、新潮社Mさん・Oさん・N編集長と新連載について打ち合わせ。先に提出したパイロット版で承諾を得、このまま書き進めることとする。
「今はとにかく色んな層に働きかけていくことが重要だと思っています」
 この辺りは新潮nexを立ち上げた出版社さんだからこその意見だろうと、拝聴する。実際、素人の僕の目から見ても今の読者人口というのは歪であり、もっと露骨なことを言えば経済力のある層に本を(買って)読んでもらわないと本当に危ない。

2月10日

 JASRACが音楽教室から著作権料を徴収しようとしている件で、少なからぬ人が違和感を抱いているようだ。TLには早くもJASRAC大喜利なるものが展開されていて、かの組織を面白おかしく揶揄している。
 ここで紹介したいのは著述に関する著作権と教育現場の関わりだ。実は僕のデビュー作『さよならドビュッシー』は都内中学校の入試問題に使用されたことがある。その際にも著作権料が発生し、その代金は教育機関からきっちり送金されている(教育のため、という特例事項でスズメの涙のような金額ではあったけれど)。今回の件も著作権法に則った要求であり、それ自体は揶揄することでも何でもない。適法か違法かは裁判所が決めることだ。
 大体、以前のようにCDが売れていたらJASRACだって教育現場の懐にまで手を入れようなんて考えていなかったはずだ。みんなビンボが悪いんや。
 そもそも今回の一件、著作権無視のyoutubeなりLINEなり音楽や動画をタダで享受している人間には一切発言する資格はないと思う。手軽だろうが便利だろうが、あなたたちのやっていることは泥棒の上がりを掠め盗っているだけなのだから。

Twitter Facebook