「考えても答えが出ないようなことを小説のテーマに置くと、ありきたりでないことを書けるようになります」

 7月講座には、本講座出身の作家、黒木あるじ氏を講師としてお迎えした。

 1976年青森県出身。山形市在住。設立当初から本講座を受講し、2009年、『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞し、2010年に『怪談実話 震(ふるえ)』でデビュー。実話怪談の分野で多数の著作を発表し、ファンの強い支持を得る。また、怪談のみならず一般小説にも進出し、2017年にはプロレス小説の執筆も始めている。

 また、今回は「このミステリーがすごい!」大賞受賞作家の深町秋生氏と、小説現代長編新人賞作家の吉村龍一氏を司会に迎え、ゲストには善元温子氏(キノブックス)をお迎えした。いずれもデビュー前や学生時代に本講座を受講していた、講座出身者である。

 講座の冒頭では、三氏がそれぞれマイクを取り、あいさつをした。

「今日の講師を務めさせていただきます、この講座の卒業生でもあります、黒木あるじでございます。本来、このような場はまだ分不相応な若輩者なのですが、みなさんと同じ受講生だったという立場から、われわれがどのように作家としてデビューし、作家として自分の作風を確立するに至ったのか、そのヒントになるお話ができればと思います。よろしくお願いします」
「この講座の長男、ということで、作家生活13年目になります、深町秋生です。よろしくお願いします。今日は世話役の池上冬樹先生がお休みということで、われわれが司会を担当します。多少グダグダな進行になるかもしれませんが、大目に見てやってください」
「この中では、長男(深町氏)、二男(黒木氏)、三男ということになります、吉村龍一です。よろしくお願いします」

 今回のテキストは、小説が3本。

・菅野彩香氏『その人が、わらってない』29枚
・佐藤広行『血断ちの沙汰』30枚
・佐藤良行『二〇〇〇年、雀』80枚

◆菅野彩香『その人が、わらってない』29枚
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8572064
 「あなた」は暗闇のなかで目を覚ました。ここがどこなのか、自分が誰なのかも知らぬまま、唯一の光源にむかって歩きだす。暗い場所を抜けたさきに広がる海のうえで、「あなた」は、一匹の海鳥を傷つけてしまう。鳥を追って、「あなた」の旅が始まる。
 色のない港、不気味な葬式、吸血鬼のいる教室――進むたびに、「あなた」の記憶がもどってくる。海鳥こそが、あなたの求める「その人」だった。「その人」との邂逅によって、「あなた」の旅は終わった。

・善元氏の講評
 まず読んでみた感想として、すごく雰囲気がある作品だと思いました。でもなんとなく、どこかイメージが統一されていないところがひっかかりました。海鳥のイメージが書かれたかと思うと、お葬式が出てきたり、吸血鬼が出てきたりして、最終的にどこへ持っていきたいのかわからないところがありました。
 いろいろなモチーフを取り上げているんですが、それが良いイメージを持たせたいのか、あるいは悪いイメージなのか、それを迷わせるためにぐちゃぐちゃにして書いているのか。作者の方が、この作品で伝えたいものが、ちょっと私には伝わらなかったです。綺麗な言葉で書かれているな、という印象が残りました。
 それから、普通は漢字で書くところを、字面を考えてひらがなに開いているところがとても多いですね。あるところでは漢字で書いた言葉を、別のところではひらがなに開いたりしている。私は昨年まで早川書房という会社で、翻訳ものの担当をしていたんですが、翻訳者さんから原稿が上がってきたときには、漢字を開くか閉じるか、エクセルで一覧表を作っていました。食い違いがあったときは、翻訳者に、どのような方針でひらがなにしたのか、問い合わせていたんです。外国語から日本語に訳したときには、その方針をしっかりしていないと、ワケがわからなくなるので。日本人作家さんの場合は、その作家さんの考えがあるだろう、と元から思っているので、ごちゃ混ぜになっていてもそのまま読んでしまうときがあります。
 法則をしっかり作ったほうがいいとまでは言いませんが、こういう雰囲気のときは開く、こういうときは閉じる、という指針のようなものは、あったほうがいいと思いました。

・吉村氏の講評
 独特の世界観を構成していると思いましたけど、全体を読んでみて意味がわかりづらかったんですよね。何回か読み返してみて、なんで意味がわからないか考えてみたんですが、そもそもわかろうとする小説を書こうとされているわけではないな、と思ったんですよ。
 文章自体にも何かひっかかりが感じられるんですが、それは文章のデザインが悪いからです。具体的にいうと、比喩の扱いですね。1ページだけで「羽のような」「生クリームのような」「小指の爪のような」「蛾のように」「ねんどのように」と、「○○のような」「××のように」が5ヶ所ぐらい出てくるんです。以降のページにも、平均して4~5ヶ所ぐらいは出てくる。「ように」というのは置き換えの手法ですから、なくても文章の意味は通じるんですよ。なので、文章をシンプルにするためには、置き換えをしないで、見た感じの状況とか動きとかを、描写として書けば、すっきりすると思います。あんまり凝っちゃうと読者がそこで足止めを食うので、まずは文体をスリム化することを心がけると、リーダビリティがだいぶ上がると思いますので、比喩を削るところから始めると、締まると思います。

・深町氏の講評
 まずこの小説の根本についてですが、なぜ二人称で書かれたんでしょうか。

菅野氏「最初は一人称で書いたんですが、女々しいというか感傷的すぎちゃったんです。でも、主人公に名前をつけて三人称で書いてもチープな感じになるので、二人称で書いてみました」)

 なるほど、そうですか。二人称だとチープな感じがしない、と思われたんですね。
 二人称について、私感ですが印象を話します。3~4年前に、ここに逢坂剛さんが講師としていらっしゃいました。逢坂さんはとても快活でサービス精神旺盛な方なんですけど、そのときにも二人称の小説がテキストとして上がってきたんですね。そうしたら、あの逢坂さんがとても怒ってらっしゃって(笑)、「二人称なんてダメだ!」「二人称の小説で傑作なんてないだろう!」と。池上先生は「いや二人称でも傑作はあるでしょう」と言いたげでしたが(笑)、逢坂先生が激怒してらしたのを覚えています。
 そのときは、自分には理由がよくわからなかったんですが、時間が経って少しずつわかってきました。そもそも、二人称小説というのはすごく高等な技術が必要だと思います。私はやったことがないので、どれぐらい高度なのか具体的にはわかりませんが。
 二人称で「あなたは」と書いているわけですが、「あなた」がいるということは「わたし」が必ずいるわけです。菅野さん、この作品における「わたし」は誰なんですか。

菅野氏「そこまでは考えていませんでした」)

 二人称というシステムは、「あなた」がいる以上「わたし」も必ずいる、という骨格を持っています。それに、「あなた」に向けて書くという形をとっているので、読者に向かって書いていない、すごく内向きな感じを与えるんですね。逢坂先生は娯楽小説を徹底的に書いていらっしゃるので、そこに違和感を持たれたのでしょう。
 わざわざ、読者のほうを向かないで書かれた小説を、興味を持って読んでもらうには、「何だろう」「どんなことが書いてあるんだろう」と思わせるやり方をしないと、通じないと思うんですね。二人称小説の傑作で、重松清先生の『疾走』(上下巻、角川文庫)があります。悲惨な境遇にある少年が事件を起こすんですが、その少年について「おまえは」「おまえは」と語りかける形で書かれているんです。そして、最後にその「おまえは」と呼びかけている、書き手が誰なのかわかるという仕掛けがあるんですが、そういう仕掛けが、この作品にはない。「あなた」がいる以上「わたし」が必ずいるはずですから、そこではっきりしたロジックを構築することが必要なやり方なんですね、二人称というのは。読者からそっぽを向く書き方ですから、よほど読者を惹きつける魅力に満ち溢れたものにしなければならない。やるなとは言わないですけれども、やるからにはそういう理論武装が必要だということを、覚えていただきたいなと思います。

・黒木氏の講評
 みなさん厳しいですね(笑)。でも、おっしゃることは菅野さんもご理解いただけたかと思います。
 非常に幻想的な雰囲気を持ったお話だと思いました。水の中にいたり、吸血鬼に血を吸われたりと、どこか現実感のないような、とらえどころがない物語が進んでいく。その世界観は、文章の表現にも顕著にあらわれていますね。
 たとえば冒頭の7行目の「美しいめんどりの、羽のような体です」のような、オリジナリティのあるセンテンスが散見されます。単語の選び方のユニークさみたいなものは、すごく印象に残っています。
 ただ、僕もやはり気になった部分が、大きく2点ありました。まず、深町さんも言った二人称の問題ですね。一人称というのは「私は」「僕は」など主眼で書かれるので、主人公の心情や葛藤がダイレクトに表現できる。そのかわり、主人公が見ていないことは書けないわけです。「私は○○した。そのとき信濃の国では、城に火が放たれようとしていたのであった」って書いちゃうと、お前誰だよみたいな話になるわけです(笑)。三人称は逆にそういうことも書けるんだけど、主人公の内面をあまり掘り下げて書くと矛盾が生じてしまいます。一人称なのか三人称なのか混乱してしまう。
 二人称の場合、例えば藤野可織さんの作品とか、あとはさっき深町さんが紹介した重松さんの『疾走』もそうですが、基本的には一人称になっちゃうんですよ。呼びかけている誰かがいるわけですから。そうでない二人称の小説も、あることはあるんです。何者かわからない。ただ、深町さんが言ったように、最後に「なるほど!」と思わせる、「だから『あなたへ』という二人称で書いていたのね!」と膝を打たせる仕掛け、からくりがない限りは、読者はなかなかつらいし、読み進めるためのハードルがバカ上がりしてしまうところがあります。
 僕も、自分の経験から申し上げると、二人称で書いている時は、ちょっと手紙チックな部分もあって、すらすら書けちゃうんです。一人称と三人称の間みたいに、不都合なところをスルーして書けちゃうところはあるんですけど、読むほうのハードルは上がってしまうんです。
 あとは、吉村さんのおっしゃった「ような」の問題ですね。菅野さんのお話では、実際にあった水難事故から着想を得て、こういうふんわりした、幻想的な話にされたそうですが、ということは作品全体が形容みたいなものなわけですよ。そこに「○○のような」という直喩を入れると、比喩がダブってしまうんです。僕も幻想的な話はわりと好きで、昔は今みたいに「おばけが出たぞ」みたいな話のほかに、幻想小説も書いていたんです。古株の受講生なら知っているかもしれませんが。「ガルシア=マルケス大好き!」みたいな話を書いていたので、こういう話は書いていて心地いいのもわかるんです。ちょっと輪郭をおぼろげにしたような作品は、とてもとても好みではあるんですが、だからこそ、全体が比喩になっているような作品の中に、また直喩を入れてしまうと、イメージが分裂してしまうんですよ。
 で、この作品は吉村さんが先ほどおっしゃったとおり、非常に「○○のように」という表現が多い。線を引いていたら、テキストが真っ赤になってしまったぐらいです。短い分量にこれだけ出てくるというのは、読者に想像させようとした結果、かえって食傷気味にさせてしまうんですね。比喩は香辛料みたいなものですから、そこが過剰になると、全体の味わいを損ねます。とくにこのような幻想的な作品だと、それが強くなってしまうので、気をつけていただきたいと思います。
 もうひとつ技術的なところを申し上げますと、ひらがなの問題ですね。この作品では、漢字をひらがなに開いて書いているところがとても多い。ここは法則的なものではなく、文章を目で見たときのバランス感覚で決めて書かれたそうですが、たしかにひらがなにするとトーンが柔らかくはなります。ただし、われわれの感覚だと、本来ならここは開くんじゃね? ここは漢字に閉じるんじゃね? というところが、ちょっとバラついている印象があります。
 たとえば「ひかりの一切ない」というところは、僕なら「光のいっさいない」と書きます。これは書き手それぞれのセンスなので、良い悪いの話ではないんですけど。あとは「あなたは立ち上がりました」とありますね。「立つ」と「上がる」の動詞がふたつくっついている、こういう言葉を書くときは、後半をひらがなにするようにしているんです。「立ちあがる」とか、「巻きこまれる」みたいに。そのほうが全体のトーンにも合うと思うんですよ。この辺はご自分のセンスで書かれているそうですが、ぜひ、プロフェッショナルな書き手の作品を読んで、参考にしていただきたいと思います。文体というのは呼吸みたいなものですから、書き手がコントロールしていないと、読んでいるほうは息継ぎができなくて溺れるんですよ。もう少し、作品の手綱を握ろうとしてみてもいいと思います。それは決して、作為的に凝ったつくりにしろというわけではないんですけど、描きたいイメージに乗ったまま、作品という馬が行くままに、沼地を渡って崖から落ちて川に流された、みたいな状態に見えてしまうので。それをコントロールするにはどうするか、ということを意識していただきたいと思います。
 参考図書というわけではないんですけど、川上弘美さんの作品を読まれると、勉強になると思います。それから、朝吹真理子さんの『流跡』(新潮文庫)という作品も、匂い立つものが共通しているのではないかと思いますので、ぜひお手にとっていただければ嬉しいなと思った次第です。

◆佐藤広行『血断ちの沙汰』30枚
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8572041
 妻の環が、豊臣秀頼がひそかに生ませた子だと知らされた伊佐口要。秀頼の血を絶やせとの幕府の命により、要は妻子の首を取れと迫られる。要は拒み、家の中に籠城する。
家老・武井外記とその手勢が家を包囲する。外記は妻子の首の代わりを用意し、それを身代わりとするように要に命じるのだった。

・善元氏の講評
 広行さんは、私が講座に通っていたころから書かれていたので、今回久しぶりに読んで「やっぱり上手だなあ」と嬉しくなりました。
 ただ、「上手」というので終わってしまっていて、悪い言い方ですが「それで?」という感じがしちゃったんですね。すごく上手で、よくまとまっているんですけど、じゃあこの作品で広行さんが何を書きたかったのか、ということがふわっとしてしまって、掴み切れませんでした。
 この主人公が、家老の命令に従おうとするのか、それとも命令に逆らってでも家族を守ろうとするのか。そのどちらの方向に行きたかったのか、それがわからないので、読んで考え込んでしまいました。

・深町氏の講評
 このオチは何なんですか(笑)。どこから、代わりの首を持ってきたんですか。若い女と幼女の首を。どこにも伏線は張っていませんよね。なぜこういうオチにしたんですか。どこから首を調達したにしても、身代わりとして誰かが死ぬことには変わらないわけですよね。
 リーダビリティはいいです。主人公が家族を守ってやるのか、それとも逆に自分で家族を殺してしまうのか。その状況に限定されたギリギリの葛藤があったんですが、そこに「よいしょ」って別の首を持ってこられたから「何これ!」って俺はびっくりしたんですよ。
 梶原一騎の『ジャイアント台風』(辻なおき作画、現在は絶版)という劇画に、プロレスに入門したばかりのジャイアント馬場が、師匠の力道山に「お前は死にもの狂いの力が足りん!」とか言われて、シャワールームで手足にバーベルをくくりつけられた状態で蜂の巣を投げつけられる、「どこから持ってきたんだよ!」という珍シーンがあるんですけど、これもちょっとね。急にそんな首を持ってきて、それで許されるんならみんな最初からそうするでしょう。これで済むんだったら、そもそも豊臣の落胤がどうだとかいうゴタゴタも起きないでしょうし。
 やっぱり納得がいかないオチかな、と思いました。
 それから、主人公がどうしても家族を守りたいという気持ちはあるけど、その家族についての描写が少ない。娘や妻をこんなに愛しています、という説明はそんなにいらないので、ある種の小道具を使ったりとかしてもいい。
 広行さんの作品を読んで、全般に感じるのは、舞台劇っぽく見えるんですね。映画やドラマではなく、舞台でやっている感じがする。台詞回しとか、私が真似できない時代小説のフレーバーがしっかり出ているんですけど、どこかの芝居小屋でやっているような感じがぬぐえない。風景描写が足りずに、物語のスピードを増すためにかなり省いて、いっきに突き進んでいるからかもしれません。30枚でやること自体、ちょっと無理がありますね。60枚ぐらいかけて、しっかり筋立てて書けばいいのかもしれませんが、何しろこのオチが納得いかなかったものですから。

・吉村氏の講評
 私も、この30枚という枚数では難しいかな、というのが正直な感想です。広行さんの文章の巧みさは相変わらずで、唸らされながら読んだんですけど、やっぱり最後の首のシーンですね。ぱっと見て私が思ったのは、もしかして映画とかから引っ張ってきたのかな、ということでした。『ゲーム・オブ・スローンズ』(米国HBO制作)というファンタジーもののドラマがあるんですけど、まったく同じ場面があるんですよ。ただ、そのドラマでは、身代わりとなる百姓の子どもがちょっと出てきて、それなりの趣向にしてあるんですけど、この作品では、主人公と身代わりとの関わりがまったくない。広行さんはそこを意図的にぼかして書いたそうですけど、それが消化不良の原因になっているような気がしたんですよ。
 だから、これは最低でも50枚ぐらいに膨らませて、身代わりになった人の立ち位置についても書くと、納得できるオチになったのかもしれないと思います。

・黒木氏の講評
 僕の意見ですが、これは、首の所在がどうだったかをぼかしたのが問題……ではないんです。読み終えて感じた一番の問題は、主人公は何一つやっていないところなんですよ。「うちの母ちゃんとチビが殺される!」とおろおろしていたのが、「首を用意した」と言われて解決する。主人公はただおろおろして、うーあー言ってるだけで終わっちゃうんです。苦悩がない。
 侍の世界の理不尽さを出すのであれば、主従関係の描写をもっと掘り下げなくてはいけないし、母ちゃんと子どもを斬らなきゃいけないという主人公の苦悩が、こっちにはあまりビンビン伝わってこない。ビもこない感じ。なんでだべな、と思ったんですが、主人公がどのぐらい妻と子を愛しているのか、みたいなところが、ベタであっても、もうすこしだけほしかったわけですよ。たとえば、たかだか家からお城に行って帰ってくるだけの道中であっても、必ず娘に土産物をひとつ買うのがならわしになっていて、同じ同心から「お前は本当に子煩悩じゃのう」とからかわれているとか、土産が手に入らなかった日はわざわざ土手にのぼって野の花を摘むとか、そういった部分がひとつあるだけで、ああカミさんが好きなのね、子どもが好きなのねという部分が出る。でも、そこがないから、ぜんぶ書き割りっぽくなっちゃってるんですよ。
 もう一個の問題はね、妻と娘の首を差し出せ、という話になんですけど、ここで犠牲になる対象を妻と娘のダブルにしているから、ちょっとブレている気がするんですよ。まあ豊臣の血を絶やすんだったらどっちも斬るという話になるんですけど、僕がこのお題で書くんだったら、二つの展開を考えます。一つは、妻と娘のどちらかを斬らなきゃいけない、というシチュエーションにしてみる。どちらを選ぶか迷うほうがグッとくる。果たして自分は心の底から愛した女房の首を斬るべきなのか、それともふたりの愛の結晶である娘に手をかけるべきなのか……どちらかの首を斬らにゃいかん、という二者択一を悩ませる。そうすると、読者も「どっちにするの?」というところで、ヒキがあるわけです。ところが、いまの作品だと、首を斬るか斬らないか、どうするかという話で、主人公が動いてないので、読者のほうも動けない。
 もう一個、案として考えたのは、主人公の奥さんが身代わりを用意する展開です。奥さんは自分がそういう血筋だということを、薄ぼんやりと知っているわけですよね。そこに自分たちの首を斬れという命が下ったのだとしたら、奥さんが助かるためにとんでもないことをしてもおかしくない。自分と同じ歳ぐらいの女と、どこから連れてきたのかわからない娘をさらって簀巻きにしておいて、「夜明けまでにあなたがこいつらの首を斬って!」と主人公に迫る。「お助けを!」と泣き叫ぶ人たちにひるむ主人公を、奥さんは「あなたがやらないなら私がやる!」と言って刀を手に取るんだけど、人を斬った経験なんてないから半端に首が切れちゃって、さあどうする……みたいな話だと、どうでしょうね。要は、自分が愛する者を守るためにほかの人を殺していいのか、という外道なところがあったほうがいいよね、と思ったんですよ。子どもの首の切り口が鯉みたいにぱくぱく開閉していて、それを見た娘がぎゃあぎゃあ泣き叫ぶのを「黙れ! ばれる!」とか言って囲炉裏の火かき棒か何かでバーンと殴っちゃったりするなんてのは、非常に美しいと思いますね。

吉村氏「それじゃ広行くんのテイストとぜんぜん違うじゃないの(笑)」)

 まあもとのテイストとはぜんぜん違うんですけど、つまり、主人公に何かを選ばせるというところにテーマが浮かび上がってくるとは思うんです。人の命は等価なのか、理不尽さにどう抗うのか、みたいな緊迫感に光を当てたほうがいいと思います。ところが、この作品にはその緊迫感がないんですね。主人公がギリギリの崖っぷちまで追いつめられてもいないし、窮地に陥った雰囲気も感じられないのが、ノれなかった原因なのだと思います。
 もう一つ言えば、家老のキャラが、僕からするとブレすぎなんですね。それまでぼろくそに言っていたのが、いきなり「この首を持っていけ」になっちゃう。突然の豹変ぶりにびっくりしちゃうんですよ。ですから、キャラクターは固めておいたほうがいいです。
 あともう一点、時間も限られている中でいろいろ注文をつけて申し訳ないんですが、冒頭の部分は、中盤の場面を抜き出していますよね。この後どうなるんだろう、というヒキを持たせようとしているんだけど、会話があまりにも説明的だと思うんです。もっと抽象的な言葉で、「女房の首をはねるのだ」とか、読者が「え、どういうこと」と思うような言葉を選んだほうがいい。深町さんが言った舞台っぽいというのは、温泉場なんかでやる「なんとか一座」みたいだという意味なのではと思いますが、そういう空気が出てしまっているんじゃないですかね。広行さんはこれだけ文章が書けるので、もう少し雰囲気を重視した書きぶりでもいいと思います。
 長くなってしまったので感想をまとめますと、主人公を迷わせて、悩ませて、やや苦さの残る選択をさせたほうが、お話が活きると思います。ご自身の中にある、答えが出ないようなことをテーマにしたほうが魅力的な物語になるはずなんですよ。奥さんと子どものどっちかを殺せと言われたらどうするか。「俺は正義に従って、たとえ自分が斬られても妻と子を守る」みたいに、自分の中ではっきりしていることを書いてもつまらないんですよ。ベランダから自分の長男坊が落ちそうになっていて、リビングを見ると奥さんが強盗にざっくざく刺されてる、みたいな状況、「どっちを助けよう」と考えても答えが出ないようなことを、小説のテーマに置いてあげると、本人もそこを迷って考えて、ありきたりでないことを書くので、次回はそのあたりを念頭に置いていただくと、いっそう面白くなるのかなと思いました。

◆佐藤良行『二〇〇〇年、雀』80枚
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8572089
 五歳の時に脊髄の腫瘍除去手術を受け、下半身まひの身体障害を負った「私」は、以来車いすの生活を送っている。二十五歳の現在、「私」はひとり暮らしをしながら地元の印刷会社に勤務している。仕事の用件以外では同僚たちと関わることをせず、休憩時間や昼休みも、職場の駐車場の片隅でひとり過ごしている。学校時代の友人たちとの親交や連絡も断ち、ひとり孤独でいることを、自らに課す毎日を送っている。
 そんなある日、午前の休憩時間をいつも通りひとりで過ごしていると、ささいなきっかけでやってきた同僚の鈴本奈美と話をする。その日以来、なぜか奈美は休憩時間や昼休みを「私」と共に過ごすようになる。しかしその心情を「私」は全く理解できない。しばらく後には「私」の抱えた大きな仕事に奈美が自ら手伝いを申し出、ふたりきりで深夜まで仕事をする、といった出来事も起こる。
 そんな中「私」は奈美から、仕事の関係で招待を受けた店に行かないか、と誘いを受ける。それまでも奈美からの誘いは何度もあったが「私」はすべて断っていた。しかしこの時は仕事関係だったこともあり、はじめて彼女の誘いを受ける。そしてその店で酔った奈美に「私」はたずねられる。「どうしていつもひとりなんですか」と。

・善元氏の講評
 10年ぶりに講座に来たんですけど、良行さんは私が受講していたころによくテキストを出されていたので、「わぁ久しぶり」と思って読みました。最初に思ったのは、「良行さんじゃないと書けない作品だよね」ということです。身体の動かし方の描写ひとつとっても、これは良行さんにしか書けないだろうなと思います。すごくそれを感じたのが、27ページ目の描写です。主人公の涼が、奈美のあとを「慌てて後を這っていきました」とあるんですが、そうだよな、後を「追う」んじゃなくて「這う」んだよな、とすごく納得させられました。
 全体のことでいうと、冒頭のお葬式のシーンと、そこからさきに続く主人公の日常のシーンに、断絶があるように感じました。後半になって、自分では行動できないけれども人に慕われていて、周りに人がたくさんいる野口君と、主人公の対比のためだったんだとわかるんですけれども。もうちょっとうまくつなげるやり方があるのではないか、と思いました。

・深町氏の講評
 まずこれは、ですます調で書くのが正しいのか、という問題があります。小説においてですます調は、短篇だとなんとかいけるかもしれないんですけど、文章のリズムとして、語尾がどうしても限られてきます。「です」「でした」「ます」「ました」、だいたいこの4つしかないんですよね。そうすると文章に幅が出なくなりますから、使うなとは言いませんけど、なぜですます調でなければいけないのか、必然性をぎりぎりまで考えて、どうしてもですます調でなければいけないとき以外は、なるべくやらないほうがいいと思います。
 その問題以外は、情景描写などもたいへん上手でいらっしゃるし、川べりで仕事の休憩時間を過ごすところなど、私もその気持ちはよくわかりました。
 でも、このヒロインの奈美さんは、正直ちょっとキモいです。というか、これは何でしょうかね、主人公は島耕作かよ、とか(場内笑)。俺はね、個人的にいまモテないというのがテーマでして。モテないんですよ。いろいろ抗って、いろいろ恋活とかしている最中に、女がガーッとすごい寄りっぷりで来る話を読まされましてね、こんな女いるかよッ!!(机をドンと叩く)って感じて。何なんだよ、お前死ねよって。仕事がちょっとできるからって、ここまでがぶり寄りに寄ってくる。しかも「後をつけてきました」とか言って、部屋に入れば「エッチな本はないすか」って、エッチなフラグまで立てて、何なんだよこいつは。少し腹を立てながら読んでいたわけですよ。『うる星やつら』のラムちゃんじゃあるまいし、みたいな。こんな女どこにもいねえだろうよ、とか。

黒木氏「飲み屋でしゃべってるんじゃないんだから(笑)」)

 奈美さんは奈美さんで何か事情があるんでしょうから、そこは書いてほしい。たとえば同じ病で下半身不随の親戚がいるとか、彼女にも何か背負わせないと。何もないままがぶり寄りでこられると、エロ漫画みたいな感じになります。「ラッキースケベ」と呼ばれてるんですけど、そういうものじゃないはずですよね。ポルノ小説じゃあるまいし。本人は真面目だし、真面目に書いてはいるけど、読む側としては、何だこの女、ということになってしまうので。それはやはり、良行さんの人生とか、そういったものを聞いてくれというメッセージが、この形では充分に伝わらない。せっかくオンリーワンな資質、良行さんにしか書けないものを持っていらっしゃるのに、これでは形として不十分ではないか、と思った次第です。

・吉村氏の講評
 今回、3本のテキストを読ませていただいた中では、一番読み応えがあったと感じています。
 タイトルが『二〇〇〇年、雀』というのはちょっとピンとこなかったので、これはもっと、イメージをバシッと一本、抽出したものにしたほうがいいです。道具とか小物とか、そういうものにしたほうがわかりやすくなると思いました。
 この中で良行さんが一番書きたかったキモは何だったのかな、と思っていて、私が勝手に思ったのは、13ページ目にある、主人公が下半身の感覚を失う場面で、右手を太腿や膝やお尻、そして性器に触れても感覚が一方通行だった、と書かれていますね。ここが、最後に「膝と腿のあたりに、温かみを感じた」という身体的な感覚につながっているのかな、と思ったんですが、そこは意図して書かれていたんでしょうか。

佐藤良行氏「すみません、ここは深く考えていませんでした」)

 そうでしたか、それはすごくもったいないと思います。というのも、私の叔父が糖尿病で足を切断しちゃったんですが、お見舞いに行ったときに、足がかゆいからかいてくれ、と無いほうの足を指して言うので、「ここ?」とか言ってかいてあげると「そこそこ」とか言うんですよ。脳が、失った手足の感覚を感じる、幻肢痛という現象があるんですが、この作品でもその辺について、前半の2ヶ所ぐらいで伏線を仕込んでおけば、最後のこの場面がもっと光ると思うんです。ここはすごくもったいないと思いました。
 ほかに印象的だったのは、20ページ目ですね。野口君が亡くなったときの気持ちを、正直に語る場面です。「笑っちまったんだよね」というところに、すごいリアリティがあったんですよね。美談に収めるんじゃなくて、人間が持っているねたみとか嫉妬とか、目をそむけず書いているところに胸を打たれました。
 表現的にすばらしいと思ったところは何ヶ所かあるんですが、とくに秀でているのが、23ページの後半にある「つぶやきながら私は、柔らかく、脆く、ですがなによりも大切なものを、むごい手つきで壊してしまったような感覚を覚えました」というところですね。これは人間の持つ悲しさとか痛切さが、いい表し方をされていると思いました。
 ただ、深町さんも言うように、やはり奈美さんというヒロインがちょっとね。ズカズカと距離を縮めすぎているので、こんなふうにこられたら嫌だな、というのは私も感じました。「なんだこの女」と、ちょっとムカッときたところもありました。価値観の押し付けがちょっとストレートすぎるよな、というところがあります。
 ですが、すごく読ませる小説で、楽しかったです。

・黒木氏の講評
 10年ぶりぐらいに小説を書かれて、このところ体調があまりよろしくなかったとのことですが、そういった良行さんの特性みたいなものを抜きにして、一個の作品とひとりの作者に対しての感想という形で述べたいと思います。
 先ほど出ました、ですます調についての問題は、僕も同じ考えです。最後にもうひとつ仕掛けがあって、この口調でしゃべっている意味が出てくるのかな、誰かに語りかけたりしているのかな、と予測しながら読んだんですけど、最後までそうではなかったというのが、ちょっともったいないなと思いました。別に、全てが仕掛けである必要はないんですけど、スタンダードなところから変化球になったからには、何か理由があってしかるべきではないかと。あと、80枚という枚数を考えると、物語の起伏はもうひとつかふたつほしいな、という気がします。
 奈美が気持ち悪いという意見には、「そうかなあ」と首肯しかねるんですけども、むしろ、いい子ちゃんすぎるところにかえって違和感があります。これは作者の願望といいますか、主人公にこう幸せになってほしい、というものがそのまま、何の困難もなく、なだらかに関係が構築されているが故に、魅力的に映らないのだと思います。これだけするからには、奈美のほうにも、何かそこまでこだわる背景がないと、気持ち悪く感じるわけですよ。ただひたすら家まで追ってくる、というのはですね、スティーヴン・キングの『ミザリー』的なものにも思えてしまう(笑)。そこが見えないのは、はからずも、書き手の側の「こういうヒロインであってほしい」という思いが、正直に出すぎているんではないか、と思ったわけです。
 一番もったいないと思ったのは、読みたいところがあまり書かれていなかったことです。たとえば、実際に会社でなさっているデザイン業務の仕事のときに、車椅子でやっているのであれば、机の高さは普通の椅子に座っている方とどれくらい違っていて、そういうふうな作業をしていて、どんな困難があるか。それは車椅子でない人たちにどの程度理解されていて、どういうところが理解されていないのか。主人公はそれに対してどこを諦めていてどこに不満を残しているのか。そういうところが見えてくると、生き方が見えてくると思うんですね。そこがなくて、「どうしてひとりなんですか」と聞かれたあげくに、「ひとりじゃないってすてきなことね」みたいな、天地真理的なところに落ち着いてしまうので(笑)、どうしても「えっ」と思ってしまう。
 車椅子で車に乗るときの苦労であるとか、入浴であるとか、そういう端々の、細やかなところから浮かび上がってくるものって、あるはずなんです。それは一般の人でもそうなんですけど、たとえば……潔癖症の人と、いわゆる汚部屋に住んでいる人では、部屋に足を踏み入れてベッドに寝転がるまでの動作も違いますよね。ペットボトルとコンビニの袋が散乱している中に、足跡がぽんぽんとあって、そこを器用に踏みながらベッドに行って横たわると、その衝撃で部屋の隅にいたハエがブーンと飛んだ、みたいな汚部屋の描写と、潔癖症の人が後ろ向きになって、床をアルコール綿で消毒しながら登っていくみたいなのでは、まったく違うわけです。そういったところに、主人公がどう生きてきたか、何を考えてどうしているかが浮かぶと思うので、そのあたりの味付けを望んでしまいます。
 もう一点、広行さんと良行さんの佐藤兄弟に共通すると言ってしまっては何ですけど、会話が説明文になっている部分が強いんですよ。正直すぎるんですね。「どうしてひとりなんですか」と言ってしまう場面あたりでも、実際にこういう会話をするかどうかを考えてほしいと思うんです。ご自身で読んでみて、一人二役でもやってもらっていいので、現実で自分がそんな台詞をしゃべるかどうか、考えてみていただきたい。僕が書いているのは怪談なんですけど、たとえば部屋で音がしたときに「まさか? この部屋には誰もいないのに!」とかしゃべっちゃうと、この子はクスリでもやってるのかな(笑)、という感じになる。そこで「うそっ?」とか「もしもし?」にすると、生々しさが浮かんでくる。部屋の中でガタッと足音が聞こえたとき「まさか? この部屋には俺以外いるはずがない!」なんて長々と言うアホはいませんね。「誰ですか?」とか「おいっ!」とか、そういう言葉を口にするはずなんです。その辺の、会話としてのリアリティもできれば追求してほしい、という思いがあります。
 僕は、昔の良行さんの作品が好きなんです。憤り、ルサンチマン、諦めと嘆き、それでもこのクソみたいな世の中に対する一筋の希望、みたいなものが描かれていた作品が、とてもとても好きだったんですね。良行さんは「僕はもう長くないかもしれない」というお話をされていますが、あえてそこには異論を唱えまして、ぜひこのクソみたいな世の中にかじりついて、しがみついてですね、あのヒゲダルマに好き勝手いわれてたまるか、という気持ちで、またガンガン作品を書いて、読ませていただきたいなということを、願う次第であります。

※以上の講評に続き、後半では三氏それぞれの作品に対する考え方や、受講生時代に講座で学んだことなどについて、お話していただきました。その模様は、本サイト内「その人の素顔」にてアップいたします。

【講師プロフィール】
◆黒木あるじ(くろき・あるじ)氏
1976年、青森県弘前市生まれ。東北芸術工科大学卒業後、山形市内の映像会社に勤務し、県内の映像コンクールで賞をとる。本講座に出入りし、2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』が作家平山夢明氏の目にとまり、第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞(平山賞)を受賞し、10年『怪談実話 震』でデビューする。『怪談実話 痕』『怪談実話 無惨百物語 ゆるさない』『狂奇実話 穽』『全国怪談 オトリヨセ』など多数。

●怪談実話 無惨百物語 みちづれ (角川ホラー文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041044642/

●怪談実話傑作選 弔 (竹書房文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XSWFGTV/

●怪談実話 終  (竹書房文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4801910920/

●怪談実話 無惨百物語 ゆるさない (MF文庫ダ・ヴィンチ)
https://www.amazon.co.jp//dp/B00J4KD8JM/

●怪談実話 無惨百物語 にがさない((MF文庫ダ・ヴィンチ)
https://www.amazon.co.jp//dp/4840151059/

●怪談実話 無惨百物語 はなさない((MF文庫ダ・ヴィンチ)
https://www.amazon.co.jp//dp/4040667948/

●怪談実話 無惨百物語 ておくれ (角川ホラー文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4041030161/

●「渚にて あの日からの〈みちのく怪談〉」(荒蝦夷) 東北怪談同盟・編
https://honto.jp/netstore/pd-book_27985537.html

●怪談実話 震 (竹書房文庫)
http://7net.omni7.jp/detail/1102986252

●怪談実話 痕  (竹書房文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4812445175/

●怪談実話 叫  (竹書房文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4812448751/

●FKB怪談実話  累  (竹書房文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/4812489113/

●FKB怪談実話  屍 【分冊版】『写霊』 怪談実話シリーズ  (竹書房)
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●怪談実話  畏  (竹書房ホラー文庫)
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●小説すばる3月号
https://www.amazon.co.jp//dp/B01N4WBPUF/
●小説すばる6月号
https://www.amazon.co.jp//dp/B072F26YPV/
●小説すばる8月号
https://www.amazon.co.jp//dp/B072F26YPV/

●ドッグメーカー 深町秋生著 (新潮文庫)
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