「小説にとって文章とは、ケーキの材料になる卵のようなものです。材料がよくないと、おいしいケーキはできませんよね」

今回は、作家の中島京子氏をお迎えして、各種の文学賞を受賞した作品の解題や、家庭生活と作品の関係などについて、お話していただきました。

◆祢々(ねね)さんに呼ばれて遠野へ/凄腕編集者の導き/震災後の東北で

――中島さんは『小さいおうち』(文春文庫)で2010年に直木賞を取りましたが、これは山形から上京したお手伝いさんの女性が主人公だったので、山形のこともだいぶ取材されていましたね。そして、ちょうど直木賞を取った直後に、この講座にいらしていただきましたが、それが終わった後には岩手県に取材に行かれて、そして書かれたのが、柴田錬三郎賞を受賞された『かたづの!』(集英社)なんですね。これは素晴らしい小説です。

中島 ありがとうございます。池上さんには、帯に推薦文も書いていただきましたね。

――昔から、こういう作品を書こうと思われていたんですか。

中島 そういうわけではなくて、たまたま「遠野に女の大名がいた」という一文を何かで見て「ほう」と思っていたんです。時代小説は書いたことがなかったので、それを自分で書くことになるとは思わず「誰かが書きそうなネタだな」とか思いながら、ちょっと調べていたんですね。それが、2008年とか2009年とか、直木賞を取る前ぐらいだったと思います。
ええと、それからこの講座に来たのが、2010年でしたね。直木賞を受賞した年の秋でした。そのとき初めて遠野に行きまして、何だか呼ばれているような気がしてきたんですね。でも、そのときもまだ「書く」というつもりではなくて、リサーチとかあまり考えず、ただちょっと旅行に行ってみたい、ぐらいの感じだったんですけど、車で回っていたら、主人公になる祢々(ねね)さんのお墓があったりとか。調べていけば誰だって見つかるんですけど、調べもせずに行ったものだから「呼ばれてる!」みたいな気がして(笑)。
そんなことがあったものだから、やっぱり「誰か」じゃなくて「私が」書いたらいいかな、と思うようになりました。

――あのときはたしか担当の編集者も同行されていましたから、最初から作品にするつもりだったのかと思っていました。

中島 それがね、やっぱり編集者って上手なんだなと思いましたね。「書くこととか考えなくていいですから、とにかく一緒に行きましょうよ」みたいな感じで、そう思って行ったら、まんまとはめられたように書いたんです。

――みなさんに説明しますと、この作品は、中島京子さんが初めて挑戦した歴史小説で、新たな代表作ともいわれています。慶長五年(1600年)、角を一本しか持たない羚羊(かもしか)が、八戸南部氏20代当主である直政の妻・祢々と出会う。羚羊は彼女に惹かれ、両者は友情を育む。やがて羚羊は寿命で息を引き取ったものの意識は残り、祢々を手助けする一本の角―南部の秘宝・片角(かたづの)となる。平穏な生活を襲った、城主である夫と幼い嫡男の不審死。その影には、叔父である南部藩主・利直の謀略が絡んでいた――。東北の地で女性ながら領主となった彼女は、数々の困難にどう立ち向かったのか。波乱万丈の、女大名の一代記です。
それにしても、片角を主人公にしようと思ったのは、なぜですか。

中島 初めて行った翌年に、もう一回遠野に取材に行ったんですけど、それが東日本大震災の後だったので、ずいぶん変わっていたんですね。それでショックをうけたこともあって、やっぱり書くことにしたんですけど、時代小説って書いたことがないから、どうしたらいいのかわからなくて、悩んじゃって。一生懸命書き始めたんです。よくわかんないけど時代小説文体みたいなのとか。ありますよね、年号が出てきて、風景描写があって、みたいな感じの。でも、ちょっとこれじゃ書けないなと思って、何度も何度も失敗しちゃったんです。大名の一人称で書こうとしても失敗し、そういう時代劇文体を書こうとしても失敗し……。そうやって試行錯誤して、それとリサーチも同時並行で進めてた中で、遠野に「片角(かたづの)伝説」というのがある、とわかったんです。片角さまというのをみんなが信仰していたんですね。それは天龍の角だと言われていたものなんですけど、昭和40年代に、残っていたものを調査したら、実は羚羊の角だったんです。そのことを、江戸時代の人たちは知らないで信仰していたんだけど。
で、それを知ったらそこから書けるような気がしてきて、羚羊の一人称で書き始めたら、書けたんです。

◆時代スイッチの切り替え/わからない時代、わかる気持ち/幻の受賞作(?)

――作家はやはりジャンルを広げようとするものですが、そういう意識ではなく、角で書ける感じがしたから、そう書いたんですか。

中島 そうですね。その女大名に「書け!」って言われたような気がしたんです。そんなに、ジャンルを広げようという意識はないんですけど、あまり同じことをやらないで、新しいことに挑戦したいという気持ちはあったので「今度はこれか」と、自分でもびっくりした覚えはあります。

――書評にも書いたんですが、男は戦って名声を上げようとする。そういう時代の話を、現代人にも理解できるようにしてありますね。また、震災後の東北人の気持ちとかも汲んであって、現代の小説として書かれているのが、中島さんの手柄ではないかと思います。

中島 ありがとうございます。でもね、それは「理解できるように書こう」というより、私がなぜ今まで時代小説を書かなかったかというと、昔の人の気持ちが理解できないからなんですね。歌舞伎とか好きで観にいったりするんですけども、どうして主君のために自分の子供をそんなにあっさり殺せるの、みたいなことがひっかかっちゃって。頭では「これは江戸時代だから」とか、切り替えないと楽しめないところがあるじゃないですか。でも、この遠野の女領主の話というのは、あまり史料は残ってないんですけど、たとえば一族皆殺しになるかもしれないような戦いをやるな、と説得して領地を移ったとか、そういうことは、なんでそうしたのかわかる気がしたんです。私は大名じゃないから、みんなを説得したりするかどうかはわからないけど、名誉のために一族皆殺しになるよりは、みんな別の土地で生きたほうがいい、という選択は普通にわかる。そう思ったので、そういう目で見ていけば、この人のやったことはわかるような気がしたんです。そこで「ああ書ける」と思ったんですね。

――「書ける」と思ったからといっても、なかなかそううまく書けるものではありませんが、非常にうまくファンタジー要素を入れてあって、これで第3回河合隼雄物語賞、第4回歴史時代作家クラブ作品賞、第28回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞されましたね。とくに柴田錬三郎賞は、うれしかったんじゃないですか。

中島 そうですね、本当にありがたいことだと思います。

――しかもほかに二つも賞をとっている。さすがに三つの賞というのは驚いたんじゃないですか。

中島 本当にね、三つなんてすごいじゃないですか。私、何か事故にでも遭うんじゃないかと不安になりました(笑)。嬉しかったですけどね。

――『小さいおうち』の次に出たのが『かたづの!』というわけではなくて、その間に『妻が椎茸だったころ』(講談社文庫)という、非常に風変りな、何じゃいなというタイトルの作品がありましたね。

中島 これについては面白い話があって、この作品は泉鏡花文学賞をいただいているんですけど、もうひとつ賞を取っていて、「日本タイトルだけ大賞」というんです(笑)。

――そんな賞あるんですか(笑)。

中島 あるんですよ(笑)。あるんだけど全然知らないし、取ったことも報せてくれないし、候補作になったことも知らない(笑)。何か忘れたけど、必要があって自分で『妻が椎茸だったころ』を検索したら、「日本タイトルだけ大賞受賞」という情報が出てきて、何ですかこれは、って(笑)。これは本当に、中身じゃなくてタイトルだけでインパクトのあるものに贈られる賞なんだそうです。

――たしかにインパクトはありますね、『妻が椎茸だったころ』。このタイトルからは想像もできないような、普通の話なんですよね。

中島 普通の話ですね、何事も起こらない。

 

◆『妻が椎茸』になるまで/怒涛の受賞ラッシュ/『長いお別れ』と家族の肖像

――料理が好きだった妻が亡くなって、夫がそのレシピメモを発見するんですね。そこに「私は遡っていくと椎茸だった」と書いてあった。それを見てしまった夫が、しぶしぶ料理教室に通うことになる。そういう話なんですが、泉鏡花文学賞を取ったのだからもっと幻想小説寄りの話なのかと思ったら、そうじゃないんですね。連作短篇集で、5つの話が入っている。どれも面白いです。食虫植物が大好きな、ヘンな男に恋人ができるんですが、その恋人がどう見ても植物だという「ラフレシアナ」も非常に変わった発想です。この植物というのは比喩なのかどうか、わからないんですが。どうやってこんな話を作ったんですか。

中島 そこは若干ネタバレになるので多くは語れませんが、なんでこんな話を作ったんでしょうね。最初に書いたのが、ちょっとホラーっぽい話だったんです。「禁断の愛」特集を組むから何か書け、といわれて、ちょっとホラーっぽいものを書いたんです。そうしたら「この気持ち悪い感じで、もっと書いてください」と言われて(笑)、それで書いたのが、食虫植物と恋愛する話でした。

――その後が「妻が椎茸だったころ」で、これは気持ち悪くない話ですね(笑)。その後の「ハクビシンを飼う」も、気持ち悪いんだけど優しくいい感じで終わりますよね。『小さいおうち』の後にこういう話を編んでしまう、中島京子というのはどういう作家なんですかね(笑)。

中島 でもこれ、『小さいおうち』書いてたときに同時進行で書いたものもあると思います。けっこう長いこと書いてたんですよね。初出がちょっとわからないんですけど。

――直木賞を取ったあとに『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、その前に書いていた『ハブテトル ハブテトラン』(ポプラ社文庫)で広島本大賞、『かたづの!』で柴田錬三郎賞ほか2賞、そして『長いお別れ』(文藝春秋)で中央公論文芸賞と日本医療小説大賞。すごい受賞ラッシュですね。この中で僕が一番好きな『長いお別れ』は、「認知症の父と家族の、暖かくてせつない十年の日々」と帯にあって、こういう文章を読むと、どうしても介護の物語かと思いますが、違うんですね。場所を変え、時代を変えて、家族の群像小説というか、オムニバス小説になっている。このテクニックというか、語りのうまさがありますね。普通の物語にしようとは、思っていなかったんですか。

中島 これは、私の小説には珍しくモデルがありまして、認知症になっちゃった父のエピソードをたくさん使っています。認知症のお父さんの話を書こうと思って、長篇を書き始めたんだけどあまりうまくいかなかったんですね。そんなことをしていたときに、ある雑誌に「何でもいいから短篇を書かないか」と言われて、それで書いたのが最初の1篇だったんです。そのときは、お父さんの話ということを考えずに、メリーゴーランドに乗っているいろんな人たちの、オムニバス的な話にしようと思って書き始めたんですが、最終的にはそうもならず、メリーゴーランドに乗りたい小さい女の子と、たまたまそこにいた認知症のおじいさんの話になったんです。
でも、そのおじいさんがたまたまそこにいるということは、一方では家族が「おじいちゃん、どこに行っちゃったの」と心配しているわけですから、そこを考えていけば書けたんですね。認知症のおじいさんがいるということは、介護している家族もいて、家族の介護がなぜ大変かといったら、その介護している人にも生活があるわけですから。子供だって10年も経てば大きくなりますし。そういった生活の中に、認知症のおじいさんがいるんだな、という気がしたので、そういう感じで書いてみようと思ったんですね。

――認知症になる前の、若かりし家族がアメリカにいたころの話とか、昔の元カノが出てきたりとか、洒落た都会ふうの短篇が揃っているんですね。そして最後に、孫がおじいちゃんを語る話とか、非常にうまくまとめているし、これはなかなか、中島京子さんの技と、悲しい話だけどそこには経験の裏打ちもあって、でも経験だけで書こうとするのではなく、ちゃんと計算して巧緻なものになっています。
でも、お父さんの実話がさりげなく効いている。帰り道を忘れても難読漢字はすらすら読める、というのはリアリティがありますし、切ないですね。

中島 でも、介護とか経験されてる方はだいたいそういうご経験があるんじゃないですかね。

――お父さんの中島昭和先生(1927年 – 2013年)は有名なフランス文学者で、アンドレ・ジイドやジョルジュ・シムノンなど有名な作品を翻訳されています。それから、お母さんの中島公子先生もフランス文学者で、お姉さんの中島さおりさんはエッセイストでいらっしゃいますね。こういう文学的な家庭に育つと、どんな生活になるのでしょうか(笑)。

中島 よく「家ではフランス語でしゃべっていたんですか」とか言われるんですけど(笑)、私はフランス語は全然しゃべれないし……。ただ、本はたくさんありましたし、本を書くということも普通に行われている家庭でしたので。だって、書くのって、みなさんは好きでしょうけど、嫌いな人は嫌いですからね。そういう意味では、良い環境だったのかなと思います。

◆先行作品との差別化/構成の固め具合は/地味にすごい! 校閲さんたち

――小池真理子さんの『沈黙のひと』(文春文庫)にも認知症のお父さんが出てきますが、これも実話に近いとのことです。面白いのが、お父さんが亡くなってから遺品を整理したら、エロ本がいっぱい出てきたという(笑)。これをね、微笑ましい感じで書くんですが、本当に作家というのは転んでもタダでは起きないというか(笑)。
中島さんが『長いお別れ』を書くにあたって、このように認知症を扱った先行作品のことは考えませんでしたか。

中島 そんなに深くは考えませんでした。というのは、あまり笑える作品ってないだろう、と思っていたんです。『恍惚(こうこつ)の人』(有吉佐和子。※編集部注・1972年に194万部を売り上げた大ベストセラー。認知症と老人介護問題を最初にとりあげた名作)とかそういうイメージが強かったし、私が父の介護をする中で、もちろんつらいこともあったけど、可笑しいことがいっぱいあったんです。ちょっと頭がおかしくなっちゃうわけだから「何やってんだこの人」と笑わせてくれるところがいっぱいあったので、それが介護の生活をちょっと救ってくれるところもありました。私はそういうところを書きたいな、と思っていましたので、そんなに先行作品とは被らないんじゃないかな、って。

――もともと『FUTON』(講談社文庫)でデビューしているので、先行作品とかパロディというものについて意識的なのかな、と思っていたんですが、この作品に関してはそうでもなかったんですか。

中島 どうですかね。それこそ小池さんの『沈黙のひと』とか、荻原浩さんの『明日の記憶』(光文社文庫)とか、気になるものは読みましたけど、作品の中に取り入れるような形にはなってないです。
意識したといえば、笑える要素を入れることで差別化しようということですね。

――1本1本、構成も非常にいいですね。50枚ぐらいの短篇をこうやって書くときに、構成ははじめに決めてしまいますか。

中島 ある程度は決めるかなあ。そんなにガチガチには決めないけど、今回はこれでいこう、ぐらいのことは決めて書きますね。

――編集者の直しとか、要求とかはありますか。

中島 そうですね、さっきの講評でも時間の問題とかありましたけど、何曜日にヘルパーが来ているはずなのにここを歩いています、とかそういう矛盾は起こってくるので(笑)そういう間違いのチェックはけっこう大変でした。

――これはみんなそうですよ。作家も、僕たち評論家も、校閲のチェックが入ってるから、間違いがない。あまりいえませんが、いまだに恥ずかしい間違いを、してしまうものなんですね。さて、作家の場合、校閲ばかりでなく、作家と編集者が二人三脚で作品を作っていく面がありますが、中島さんも、長い付き合いの編集者とかいるんじゃないですか。

中島 デビューのころから担当してくれていた方が、最近ノンフィクションのほうに異動されたりしたんですよね。

――『かたづの!』の担当をされていた方ですね。僕もよく知っている人です。

◆選考委員としての目/文章はケーキの卵みたいなもの/音読することの重要さ

――いろいろ賞を取ってきて、最近は選考委員のほうもされてますね。松本清張賞と、太宰治賞でしたか。

中島 それと、河合隼雄物語賞もやってます。これは難しいんですよね。私が受賞したのが3回目で、まだあまりよく定まっていないようなところがあるんですね。1回目は西加奈子さんで、2回目が角田光代さん、4回目がいしいしんじさん。けっこうバラバラな感じで、ちょっとわからないんです。
松本清張賞も、今年から就任したばかりで、まだ選考に参加したことがないので、候補作も目にしていないんです。

――そうなんですか。選考委員として、これから書こうとする新人には何を求めるか、お聞きしたいと思ったのですが。

中島 ううん、まだ選考委員というものをきちんとやっていないので……、あ、太宰治賞は1回やったんですけどね。どうなんでしょう、まだそんなことを考えるところまでは行っていなくて、ただ渡してもらった作品を読むので精一杯という感じなんですけど、基本的には今日の講評と同じような感じで、楽しんで読めるかどうかがポイントというか。

――太宰治賞はやっぱり純文学ですか。

中島 いえ、出してるほうはあまりそういう意識はなくて、純文学っぽいのも来るけど、その辺の境界線上にあるものが来ることも多いです。

――中島さんは純文学でスタートしていると言っていいんですよね。

中島 どうなんですかね。私はもともと持ち込みで出ていて、それがたまたま講談社の純文学を出す部署からだった、というだけなので。あまりそういうことは自分でも考えたことはないです。

――賞を選考するにあたって、ストーリーが面白い作品と、キャラクターが面白い作品ではどちらを選ばれますか。これはこの講座で何度も言っているんですが、昔は文章とかテーマが重視されていた時代だったんですね。それがいまは逆転している。キャラクターが一番下だったんですが、いまはキャラクターが重視されていて、文章はあまり重要視されていない。そのように、時代によって重視される要素は変わるものですが、中島さんが順位をつけるとしたらどうなりますか。

中島 それはもちろん作品によって違いますけど、文章がトップにくるかもしれないです。ただ、昔みたいに香り立つ高尚な文章がいい、というわけではないけど、小説というのは文章でできているわけですから。
たとえばケーキを焼くとしたら、材料の小麦粉とか卵とか、そういうものと同じですよね。それでできているわけですから。文章がうまくないと、読み進めるのが苦痛になっちゃうでしょう。ガチガチした特殊な文体で、それが雷おこしみたいに、噛みづらいけど味がある、みたいなこともあるんですけど、やっぱり文章自体に人を惹きつけるものがないと、とくに長篇の場合は難しいんじゃないかと思うんです。

――文章というのは難しいですよね。ゴツゴツして生硬な、読みにくい悪文であっても、これが作家の個性にもなるんですよ。たとえば高村薫や福井晴敏のデビュー作など、文章はゴツゴツしていて、当時評判はよくなかったけれど、僕はそれがいいと思った。生硬な文章によって紡ぎだされるある種混沌とした物語が魅力的に思えた。しかし二人ともデビューしてから量産するうちに、ツルツルした文章に変わっていった。ゴツゴツした文章のままでは長い物語を書けないし、量産もできませんから。角田光代さんも、デビュー当初は、一文読んだだけで「角田光代」とわかるような文章を模索していたそうですが、ある時期から、文章よりストーリーを書こう、と思い直して、そこから自分でも伸びたと思う、とおっしゃっていますね。
高村薫さんは、デビュー当初の生硬な文体から、だんだん読みやすくなって、『レディ・ジョーカー』(新潮文庫)などの傑作を書かれましたが、そこからまた純文学的な文章に戻ってきて、匂い立つように官能的な、密度の濃い文章になりました。これは珍しいパターンだなと思います。
中島さんは、ご自分の文章についてどう思われますか。

中島 えー、どうでしょうかね。わりと、作品によって書き方を変えているので、そういう意味では、一読して「これが中島の文章だ」というふうには思われていないと思います。ある意味でそれが自分の弱いところなのかな、と考えることもあるんですよ。一読してわかる文章を持っている作家が、そういう強さのある作家だということもありますよね。

――ありますね。古井由吉(ふるいよしきち)さんなんかもまさにそうですね。

中島 自分はそういうタイプの作家ではないので、文体にそこまでのこだわりはないんですけど、ただ、文章というものにはやっぱり、文章だけで人を惹きつける力があると思いますから、自分が書くときも、そうでありたいという願いはありますね。なので、書いた文章を頭の中で音読してみたりはします。

――音読は大事ですね。浅田次郎さんも、熊谷達也さんもそうおっしゃっています。ノンフィクションライターの野村進さんも、書いた文章を10回は音読するそうです。句読点でリズムが構成されるので、自分で音読してみたほうが絶対いいと思いますね。

◆書いたら今度は読者の目を持って/翻訳と創作の影響/翻案で文体とストーリーの練習を

――あと、文章というのは、物語の中で何を描くのか、何を書きたいのか、ということを考えると、ゆったりした文章になっていくことが多いですね。先日朝日新聞で絶賛した、ほしおさなえさんの『活版印刷三日月堂 海からの手紙』(ポプラ文庫)などは、本当に文章が身体に浸み込んでくるような作品なんですね。人間にとって大事な悲しみがある。悲しみが人間を育てる、ということを淡々と静かに書いている。人間の感情や思いをすくい上げる、静かな文章を作っているからこそ、読むものの胸をうつ。
中島さんもずっと書かれてきて、あらためてお聞きするのもなんですが、やはり文章というものは難しいと思われますか。昨日は姉妹講座の「せんだい文学塾」に中村文則さんをお迎えしたんですが、中村さんも、毎回毎回、一文一文、これでいいんだろうかと迷いながら書いている、と言っていましたね。

中島 難しいですよね。内容もそうですけど、やっぱり文章を作ってそれを読ませるという仕事なので、いろいろ考えますよね。文章と文体はまた違うんですけど、文体が決まらないと小説は書けないですよね。人称だとか視点だとか、決まらないと書けないし。
やはり、一度書いたら自分が今度は読者になって、だらだらしているところとか、わかりにくいところ、言いすぎているところとか、削っていったりはしていますね。

――さっきの講評では、加藤眞理さんの『絵画教室』が、一行空きの多い文体で書かれていました。加藤さんの場合はそこまで気になりませんでしたが、最近はそういうメール文体が多いです。中島さんはどう思われますか。

中島 あまり意識したことはないんですけど、あまり空けようとは思ったことないですね。スカスカした感じになっちゃうので。でも加藤さんの作品は、たしかに改行も行空けも多かったんですけど、ヨーロッパを舞台にした、外国らしい感じを出そうとされているのかな、とも思いました。

――中島さんは、翻訳の経験はありますか。

中島 翻訳はですね、中国語の翻訳をやりました。話せば長いことですが、学生時代から中国語はやっていたんですよ。で、2009年にアメリカに行って、アイオワ大学の、いろんな国の作家が参加する国際交流プログラムに参加したんですね。3ヶ月いたんですけど、そこで香港の作家と知り合ったんです。知り合うというより、その人の作品がすごく面白かったんですね。董啓章(トン・カイチョン)さんの『地図集』(河出書房新社)というんですけど、50篇ぐらいの短い掌篇が集まっていて、ちょっとイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』(河出文庫)みたいな感じなんです。そういう断章が50個あるんですが、それが全部香港の話なんですね。21世紀の考古学者が、雲散霧消してしまった英国領時代の古地図を引っ張ってきては、当時ここにこんなことがあったらしい、という話を書いている、学術書みたいな体裁の本なんですが、中身はちょっとカルヴィーノみたいで、嘘八百なんです。ここには氷の倉庫があった、と書いてあるが本当はアイスクリームを作っていて、それだけじゃなくて、ヨーロッパから来た人たちが、記憶を取り出して、この暑い香港で自分の記憶が腐らないように氷の倉庫で保存していた、とか(笑)、そういうヘンな話がいっぱい入っていて、すごく面白かったんです。
それで、日本に帰ったら誰かに翻訳してもらいたくて、中国文学の翻訳家をされている知り合いの、藤井省三先生のところに行ったんですが「中国語の小説なんて出ないよ。中島さん、あなたがおやりなさい」と言われまして。何この人、高踏なお断り? とか思ったんですが(笑)、その年ちょうど直木賞を受賞したので、これはきっと私というより直木賞バリューか、と思いまして、それで河出書房から出したんです。

――これは面白そうですね、みなさんも読んでみましょう。でも翻訳をされてみて、ご自分の文体にも影響を受けたんじゃないですか?

中島 どうなんですかね。あったかなとは思うんですけど、それ以上に、自分が物書きだと、他人の作品を自分に引きつけちゃうようなところもありますでしょう、翻訳って。それって翻訳する上でどうなのかな、というところがあって。私は両親も翻訳家だったので、翻訳原理主義みたいなところがありまして。原著のニュアンスに忠実であるべきだ、と思えば思うほど、やっぱり語学ができない人が翻訳しちゃいけないでしょ、と強く思ってしまうんです。なので、できない分、自分の文体に引っ張っちゃうみたいな部分があると、翻訳はできないかな、と私は思ってしまいます。

――中島さんの『長いお別れ』はレイモンド・チャンドラーの名作にちなんだタイトルですが、チャンドラーの話をしますと、村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)が非常に有名になりましたが、それが出るまでは清水俊二さんの訳による『長いお別れ』(同)がありました。この2つの違いは何かというと、逐語訳かそうでないかなんです。昔は原文に形容詞が3つあったとしたら、2つは省いて1つにしていいんです。しかし村上春樹の場合は(というか、翻訳とテキストと関係がうるさくなった1980年代以降は)逐語訳的に、つまり形容詞が3つあったら3つきちんと訳す。その結果どうなったかというと、清水俊二訳は非常に流れがよく、歯切れがいい。清水さんはもともと字幕の翻訳家なので、音としての言葉がいいんです。流れるように気持ちいい。ところが村上さんのはどうかというと、ここで初めてチャンドラーのレトリックがわかったんですね。形容詞もきちんと訳すので、ものすごく濃密な文章だということがわかった。ただ、村上春樹はあえて古い言葉で訳しているんです。会話で「嬰児(みどりご)」なんて出てくるから、何だろうと思って原文を見たら”baby”なんですよ(笑)。「赤ちゃん」「赤ん坊」でいいじゃないですか(笑)。村上さんはこういう言葉遣いが好きなんですね。
なぜ翻訳の話をしているかというと、自分の文章をどうするかということなんです。つまりチャンドラーを訳しながら、こういうふうにチャンドラーは考えていたのかと、思考や物語の捉え方を全部考えられる。だから、外国語ができない人は、小説でも映画でも漫画でもいいのですが、自分の好きな作品を自分の物語にするには、どう翻案できるか考えてみるといい。いま読んだマンガや海外の小説、いま見た海外の映画を自分だったらどう翻案するのか。たとえば古い作品の時代設定を現代に変えるとか、人称を変えるとか、主人公の性別を変えるとか、いくらでも翻訳できるんです。そこから新たなストーリーや、自分の書きたいテーマも見えてくるので、そういった翻訳のことも考えてみてほしい。翻訳というのは単にAという言葉で書かれたものをBにするのではなくて、そういう細かい作業もやっているんじゃないかと思うんですが、どうですか。

中島 それは私ね、言語の翻訳という話じゃないけど、ものすごくよくやっているんですよ。私はパロディが好きなので、それこそ『妻が椎茸だったころ』の後くらいに『パスティス: 大人のアリスと三月兎のお茶会』(筑摩書房)という本を出したんです。それは本当に大好きな、パロディばっかりの本を作ったんですね。先行作品があって、それを失礼ながらどう変えさせていただくかということで、たとえば池上さんがおっしゃったように男女を逆転させたり、時代を変えたり、あと文体模写をやったり、いろんなことをやりました。自分のための文体練習というか、ストーリーの作り方を考えたりとか。そういうことは大好きでよくやります。

――三浦しをんさんも『むかしのはなし』(幻冬舎文庫)で同じようなアプローチをされていますし、僕の好きな石川淳にも『おとしばなし集』(集英社文庫)という作品があります。「マッチ売りの少女」なんかをものすごくアレンジしていますから、みなさんもこういうものを読んでみると、書きたいものがあるけど書けないなというときや、発想の転換をはかりたいときには訓練になると思います。

◆題名の難しさとは/「扉をあけたら」そこにいるのは……?

――では時間もなくなってきましたので、質疑応答に入りたいと思います。誰か質問はありますか。

女性の受講生 中島先生の本はタイトルも非常に印象深くて、書店で見かけても印象に残るのですが、どのように考えてタイトルを付けられているのでしょうか。もしコツがあれば教えてください。

中島 これは難しいですね……。タイトルを決めてから書き出すこともあれば、とにかく書いちゃったあとからタイトルを考えることもあるんですけど……(しばし考え込む)。
どうですかね、でもタイトルは大事ですよね。インパクトがある程度あって、内容をある程度わかるようにする。でも、タイトルだけで小説の内容がわかるようにするべきかどうか、というのもあって。実用書なら、たとえば「ふくらはぎを揉むだけでみるみる痩せる」とか(笑)、そういうタイトルでいいんでしょうけど、小説はどこまで書いていいのか。その辺は、自分の勘を信じて、タイトルを付けています。

女性の受講生 「本の窓」(小学館のPR誌)の対談連載「扉をあけたら」を、いつも楽しく拝読しています。多彩な方々と対談されていますが、相手の方はどのように選ばれているのでしょうか。

中島 これは、わりと自分の会いたい人に会っています。その人の本を読んだりして、興味を持って会うこともあるんですけど、編集部のほうで選ぶこともあります。これは小説の話とはズレるんですけど、いまの世の中の動きがわかるような対談にしたい、という思いもありまして。最近は、テレビに出る人と出ない人がはっきり分かれちゃってるようなところがあるから、テレビにはあまり出ないけどすごくいいこと言ってる人もいるので、そういう人に出てもらうといいんじゃないの、みたいな話もしたりとか。
そんな感じでやっています。私のほうで「この人に会いたい」というときもあるし、編集部で「この方はどうですか」というときもあるし、という感じです。

――対談連載、面白そうですね。一冊にまとまるのが、とても楽しみです。
さて、まだまだお聞きしたいところですが、残念ながら時間となりました。今日は長い時間、ありがとうございました。
(場内大拍手)

【講師プロフィール】
◆中島京子(なかじま・きょうこ)氏
1964年、東京都生まれ。出版社勤務を経てフリーライター。2003年小説『FUTON』を上梓してデビュー。『さようなら、コタツ』『ツアー1989』『平成大家族』の後『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。以後『ハブテトル ハブテトラン』(第1回広島本大賞)『妻が椎茸だったころ』(第42回泉鏡花文学賞)『かたづの!』(第3回河合隼雄物語賞&第4回歴史時代作家クラブ賞&第28回柴田錬三郎賞)『長いお別れ』(第10回中央公論文芸賞&第5回日本医療小説大賞)と秀作を世に送り出している。

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