「ストーリーラインは物語の面白さにとって本当に肝心な部分ではなく、同じパターンの中でも味付けによって変わる。それが作家の個性です」

 今回は作家の三浦しをんさんをお迎えして、選考委員として新人作家に求めるもの、ご自身の創作において心がけていること、アイデアを生む源泉などについて、ユーモアを交えつつ語っていただきました。

◆ビロウな話で恐縮です/受け取り方は人それぞれ、だから面白い/最後に決められるのは自分だけ

――では後半のトークショーを始めます。昨日は姉妹講座の「せんだい文学塾」でもお話をお聞きしたんですが、仙台と山形では違うお話をしたい、とのことですね。

三浦 昨日はね、排泄物と男性機能の話ばっかりしてたんです(場内笑)。この講座の品位を貶めてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。遺憾に存じます。うふふふ(笑)。

――いやあ、昨日は盛り上がりましたね。面白かった。「せんだい文学塾」は詳細な記録は残りませんから、今後も遺憾な話をがんがんしたいと思いますが、山形講座はホームページに掲載されるので、今日はマジメな話にします(笑)。
 さて、今回のテキストを読んで、どう思われましたか

三浦 すごく多様な作品が集まって、みなさんそれぞれ切り口がとても面白いし、小説・エッセイともに、真剣に取り組んでいらっしゃるんだな、ということが伝わってくる作品ばかりでした。拝読しててとても楽しいし、刺激を受けますね。なるほどこういうことを感じている人がいるんだな、とか。
 あと、書かれた作品をみんなで一緒に読んで、感想を言い合ったりすると、「そういう受け取り方もあるんだ」と気づかされることも多いし、面白いなと思います。

――去年の9月には鶴岡でも出張講座をやったんですが、あのときはゲストの国田さん(今回も参加された、徳間書店の国田昌子氏)も含めて、講師陣の意見が合いませんでしたね。だからこそ面白いんですが。やっぱり作品を読んでの意見というのは、なかなか合うものではないですよね。

三浦 そうそうそう、どんなものでもそうですよね。売ってる小説とか映画だって、「すばらしい傑作だ」と全人類が称賛するものなんてないですから。感じ方が人によって全然違う、というのが創作物の楽しいところですよね。

――昨日の質疑応答で、ある公募新人賞を取ってデビューしたものの2作目に悩んでいる、という女性がいました。投稿サイトなどに書いていると意見がいっぱい来るけど、それをどう整理して受け止めたらいいのか、という質問を受けたんですけど、それって難しいですよね。ある程度、自分で覚悟を決めて書かないと。もちろん、デビューするまでは人の意見も聞かないといけませんけど、デビューしたらもう自己責任で。八割方は自分で決めておいて、途中からは人の意見で方向を変えたりしないほうがいいですよね。

三浦 そうですね。これは別にプロアマ問わないんですけど、書いてるときは一人じゃないですか。たとえばデビューするとなったら、編集者の方とか、出版社の営業や宣伝の方たちが、その作品をより良くするために、「ここはこう変えたらどうですか」「表紙はどういうものにして、どう売り出しましょうか」と、知恵をいっぱい出してくださることもあるでしょうけど。でも結局最後は、書いた本人がその作品をどうしたいのか、どう見せたいのか、そういうところが求められますね。聞く耳を持たなすぎてもいけないんですけど、意見の取捨選択をするのもやっぱり自分しかいないわけで。書き手は自営業者なんですよ。一人で書かなきゃいけないし、作品に対するプロデューサー的感覚もある程度要求されるし、依頼を受ける下請け的立場でもあるし、自分で自分の資金繰りをする社長でもある。だから、作品やそれに関わってくださる人に対して、あらゆる神経を配る習慣をつけておいたほうが、いざというときにまごつかないで済むかな、と。まあそれでもまごつくときはまごつくんですけどね。

◆賞もいろいろ、作品もいろいろ/「最善を尽くす」ということ/読むことへの責任感

――しをんさんは現在、Cobaltノベル大賞、R-18文学賞と、それから松本清張賞の選考委員もやっているんですよね。

三浦 そうですね。松本清張賞はまだ選考会は1回しか出てないんですけど。

――この3つとも性格が違うと思うんですけど、選考をやるうえで何に一番注目されますか。

三浦 それは賞によって違いますね。1個の基準しかないんだったら、新人賞も1個でいいじゃないですか。でもそうでないということは、それぞれの雑誌だったり出版社だったり、賞の性格付けとして求めているものがあるんだろうな、と思いますね。かといって、傾向と対策を練りまくりました、というような作品があったとして、それが受かるというわけでもない。下読みをなさっている方たちも、編集部の方たちも、それから選考委員も、やっぱり面白い作品を、作品本位で選んでいると思いますね。この賞に色合いが合うか合わないか、ということで選んでいる賞は、私が今までやらせていただいた中には1個もなかったです。

――でもたとえばR-18の場合は、極端なことを言えば、才能はあるんだけど破綻している物語と、才能はあまりないんだけどまとまっていて気配りが行き届いていて、完成された世界と、どちらを取りますか。

三浦 それは難しいですね。破綻している中から感じ取れる才能の大きさにもよるんですけど(笑)。ただ、R-18に限らず言えることは、上手くまとまっているものより、多少破綻していても「何だろうコレ」「こんなの読んだことない」というもののほうが、選ばれる傾向にありますね。だからあまり「これでいいのかな」とか思わないで、堂々と応募なさって問題ないと思います。
 だけど、何も考えずに書いてはダメです。傾向と対策を練るということではなく、自分が書きたい小説をより良く表現するにはどうすればいいか、何が必要かということを、推敲するとか、資料になる本を下調べで読むとか、最善を尽くして試みるのが大切です。あと、たとえば人称をどうすればこの作品を一番よく語れるかとか、あらゆることを、自分でちゃんと考えて書くということですね。何も考えずに思いのまま書いても、多少破綻してはいるけどすごいものができた、というのは本当に一部の天才だけだし、それが職業として続くかどうかはわからないから。

――途中まで一人称で書いていたものを、途中から三人称に書き直すとか、そういう話もよく聞きますよね。

三浦 聞きますよね。たしかドストエフスキーの『罪と罰』も、最初は一人称で書かれていたんですけど、ドストはその原稿を全部焼いて、三人称で書き直したらしいです。あ、でも本当かどうかわからないや、私の記憶違いかもしれない。

――どうしてもね、一回書いたものを大事にしてしまって、それをずっと残して、いじくり回してちょこちょこ直しては賞に応募してくる人がいるんですね。僕はいっぱい下読みをやっているので、必然的に出会う同じ応募者と出会う確率が高い。編集部から送られてきた箱をみて、「またお前か」ってね(笑)。同じ原稿を何度も、いろんな賞に送ってくる。よく見かける常連の応募者がいてね、わりとうまいんですけど、落ちてはちょっと直してまた別の賞に応募してくる。Aで落ちたらB、Bで落ちたらC、Cで落ちたらDという具合ですね。で、僕みたいにABCDの賞の下読みをやっていると、「またお前か、ちゃんと新作を書けよ」ということになる。なぜか不思議と同じ箱に入ってくるんですね。別に編集者は選んでいるわけじゃなくて、来た順に箱に詰めて評論家にばんばん送ってるのに「またお前か」と再会するんです。こういうのが毎回ありますね。
 これは何度も言ってますが、作品を大事にするのはいいけど、やはり新作を書きましょう。自分が本当にどれぐらいの力を持っているのか、それは一回捨てて新しいものに挑戦しないとわからない。応募して受からなかった作品には、根本的によくないところがあるということなので、それはちょこちょこ直してもダメです。しをんさんも、賞の選考をするときに「この人は前にどこそこの賞で候補になりました」とか、編集者から聞いたりしませんか。

三浦 いえ、そういうのは聞かないですね。そういう個人情報みたいなのは、事前には何も伝わってこないと思います。

――出版社によっては、作者の名前とタイトル以外は、年齢も性別も選考委員に伝えないところもあるそうですね。でも、選考が難航したときには「この作者はどんな人ですか」と聞く場合もあるんじゃないですか。

三浦 それは皆無ではないですね。

――僕は予選委員なんですけど、予選委員はその辺も聞くんですよ。「この人はプロ?」とか。すでに賞を取ってデビューした人が、1冊か2冊は本を出しても売れないで、何年かしてまた別の賞に応募してくるという場合もありますから。そういう人はやっぱりダメですね。売れない理由はやはりあるんです。
 しをんさんは、選考委員をやって、やはり面白いですか。

三浦 面白いです。でもすごい責任重大ですからね。この講座でもそうですけど、拝読するときは集中して読んで、選考や講評の前にいろいろ考えます。

――この講座で、僕はこうして壇上に講師と並んで座ってるんですけど、この場所にいる者の特権でね、講師がテキストにどれだけ書き込みをしているか、見れるんですよ。ものすごく書き込んでくる人もいるし、まったく書き込まない人もいる。葉室麟さんなんかはテキストを忘れてきたんですが、でも、内容がしっかり頭に入ってるんですよね。

三浦 そうそう、メモとか取ってなくても、選考会の場ですごく詳細に講評なさる方もいらっしゃいますね。とにかくみんな真剣に集中して読むし、一回だけしか読まないで来る、ということはありえないので。選考会でももちろんそうですし、ここでもそうです。一回読んだだけじゃわからないところもあるから。
 でも、読者は一回しか読まないし、冒頭で嫌だったらもうやめちゃうんですよ。そこは考えて書かないといけないです。

――亡くなった打海文三さんは「作家は第一行で捨てられる運命にある」と言ってましたね。やっぱり、第一行がつまらなかったら、もう読む義務はないですから。応募原稿はとくにしっかり、最初の1~2ページはよく推敲してください。そこに誤字脱字があったりしたらもう終わりですよ。

◆文体とストーリー/作品が求める文体を知るべし/タイトルが担うもの

――では細かい部分についてお聞きしたいと思います。まず、文体ですね。いい文体、悪い文体について。これはちょっと曖昧な質問かもしれませんが、難しいところですよね。文章が悪くても、いい作家はいっぱいいますから。大江健三郎も、文体はひどいけど、作品はいいですし。高村薫や福井晴敏も、文章はものすごく読みづらかったけど、でもすごく作品はよかった。でも、高村さんも福井さんも、途中から文体を変えましたね。読みやすい方向に行きました。しをんさんは、自分の文体の変遷を振り返ってみて、どうですか。初めは美文調じゃなかったですか。

三浦 そうですかね……あまり変わんないんじゃないですか。あ、でもね、わかんない(笑)。私の場合はね、何ていうのかな……あまり文法に反した文章は書けないんですよね。破調の文章、というんですか。そういうものは書けないんですよ。なので、どっちかというと日本語の文法に忠実というか、そういう文章しか書けない。たとえば大江健三郎さんとか野坂昭如さんとかって、なんかすごいカクカクしてたり、助詞の使い方が独特だったりする作家かなという気がするんですけど、意図してもああいうふうには到底できそうにないです。たとえば町田康さんとか、ああいう感じの文章は書けないですね。私にリズム感がないからだと思うけど。

――読んでいて、自分の理想とする文章はどんなものですか。書き方のハウツーというか、文章を書くうえで気をつけるべきことは。曖昧な質問で申し訳ないんですが。よく「同じ表現を繰り返すな」とか「体言止めをするな」とか言われますが、しをんさんが自分で気をつけていることはありますか。

三浦 それはありますね。同じ単語を、同じ見開きの中で使いすぎないとか。何の意図もなく同じ語尾を重ねすぎない、とか。同じ語尾を重ねてリズムを出す、とかそういう場合は別ですけど、何もなければそういうふうにはしない。などなど、いろいろありますね。

――新人賞の選考では、文章は重視されますか。書いている人の中には、文章に困ってなかなか進めない人もいますし。エンターテインメントでは違いますが、純文学では大事ですからね。でもCobaltあたりでは、やはり文章よりストーリー展開のほうが重視されますか。

三浦 そこはもちろん大切ですね。Cobaltの場合は、登場人物にある程度の華があるか、魅力があるかということも、大切になってくることがあります。とくに異世界ファンタジーものなどだと、そうですね。現代ものだったら別に、地味な登場人物でも、すごいイヤな話だったりしても別に何も問題ないですが。「Cobaltはこう」とひとくくりにはできず、ケースバイケースですね。
 でも文章って、書いていくうちにある程度はうまくなるというか……。本当に生来の、壊滅的な音痴は歌が下手なままですけど、そうでなければ、カラオケで歌ってるうちにうまくなるということもありますよね。それと同じで、文章も書いていればある程度はうまくなるし、書きたいことをうまく書けるようになる、ということはあると思うんです。でも、それもやっぱり、自分が書きたい小説に合う文章はどんなものなのか、使う単語や言い回しをどうすればいいか、ということをきちんと考えて書いていれば、ってことです。ただ書きなぐっていては、ジャイアンリサイタルが永遠に続くみたいになっちゃうから。この人あまり文章に気を配ってないな、何も意図せず何も考えずに書いてるな、というものは、話の完成度も高くない傾向にあります。相関関係はあると思います。

――昨日の(せんだい文学塾のテキスト)講評でも評判のよかった作品がありましたが、やはり冒頭の1行目から引き込むんですよね。冒頭の1~2行目で惹きつけることができるかどうかで、この人は書き慣れてるな、ということがかなりわかりますね。
 これも、昨日もお話に上がりましたが、タイトルの付け方も問題ですよね。

三浦 タイトルはやっぱり難しいですよね。ぴったりのタイトルを考えるというのは難しいです。

――しをんさんは、タイトルはご自分で考えるんですか。

三浦 基本的にはそうですが、編集者の方が付けたものもあります。連作短篇で『秘密の花園』(新潮文庫)というのがあるんですけど、それは3話入ってて、ひとつひとつのタイトルは私が付けたんです。でも一冊の総タイトルが思いつかなくて、そしたら担当さんが「『秘密の花園』にしてはどうですか」と言ってくださったんですね。「それだ」と(笑)。でもそれぐらいかな。他は自分で付けてます。

――悩みませんか。

三浦 悩みます悩みます。だからもう、そのままですよ。『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)は、まほろ駅の前に多田便利軒という店があるから、その名前になった、というように。アドバイスとしては、こういう直球勝負のネーミングもアリといえばアリなんですけど、一番いいのは、「これ何の話なんだろう」と読者の想像をかき立てるようなものですね。ずばりそのものじゃなくて、想像がふくらむようなものが、いいタイトルだと私は思います。

――『神去なあなあ日常』(徳間文庫)なんていうのも、よく付けましたね。

三浦 まあ、これも『まほろ駅前』方式のネーミングで、神去村でなあなあな日常を繰り広げているから(笑)。とはいうものの「神去」って何だろう、とか、やっぱりちょっとひっかかりはありますよね。

◆『仏果を得ず』の意味/種明かしのタイミング/第1行か、それとも最終行か

三浦 たとえば、私が今まで自分で付けたタイトルの中で、これは好きだな、と思うのが『仏果を得ず』(双葉文庫)ですね。文楽(人形浄瑠璃)の小説なんですけど、『仮名手本忠臣蔵』の中に「仏果を得よ」、つまり「成仏せよ」と登場人物が言われるシーンがあるんです。これは、歌舞伎とか文楽を見慣れてる人なら、「ああ、あのシーンだな」とわかる場面なんですけど、そういう人にニヤリとしてほしい、というのもあった。「仏果」って何だろう、ちょっと抹香臭い話なのかもしれないな、と思われるかもしれないけど、だから敢えて表紙はポップな感じにして、読んでいくうちにそのタイトルがどういう意味なのかわかる、という仕掛けにしました。文楽の世界に、主人公とともに読者の方を導き、ご紹介しつつ、「このタイトルはこういう意味だったんだな、それが主人公の思いとも重なっていたんだな」と最後にわかるようにしたかったんです。カッコイイ!(笑)。自画自賛(笑)。まあでも、タイトルとしてはちょっと硬すぎたかもしれませんね。
 あ、『舟を編む』(光文社文庫)も似た発想でつけたタイトルですね。「舟を編む、って何じゃらほい」と読者の方に思っていただく。でも、ちゃんと『仏果を得ず』の反省を踏まえました。『仏果を得ず』は、本当に最終章にならないとタイトルの意味がわからないんですけど、『舟を編む』は、冒頭で「舟を編む」の意味がわかるように書きました。さすが!(笑)。自画自賛(笑)。これがこの世界で展開されるテーマですよ、ということを冒頭で種明かしするんです。何が「舟」で、なんで「編む」なのかがちゃんとわかるように。

――『風が強く吹いている』(新潮文庫)はどうですか。

三浦 これもそうですね。「風が強く吹いている」というそのままの言葉ではないけど、作中に出てきます。

――あの作品がすごく売れて代表作になりましたけど、ほかにタイトル候補はあったんですか。

三浦 いや、別にそんな売れてないですよ(笑)。みんな買って! 私の小説はまず基本的にあまり売れないから……(笑)。『舟を編む』は、おかげさまで多くの方に読んでいただけて嬉しいんですけど。
『風が強く吹いている』は箱根駅伝の小説なんですが、私は小さいときから箱根駅伝をテレビで見てたし、コース沿いに親戚もいるので、けっこう身近な大会だったんですよ。なので、常識って怖いもので、これは正月にみんなが観てるものなんだろう、と思っていたんです。よし、この本を出したら、箱根駅伝の視聴率は相当なものだから、もしかしたら2千万部ぐらい売れるかもしれない、と思ったんですけど、まあ売れない売れない。それで、「ハッ! そういえば裏番組があるんだ!」と気づいたんですね(笑)。出版社側が当初、「箱根」という言葉をタイトルに入れたほうがいいんじゃないか、とすごくおっしゃってた意味が、そこでようやく「なるほどな」とわかりましたね。でも、箱根駅伝をメインテーマにした小説に「箱根」の入ったタイトルつけるって、ちょっとダサくない?(笑) もちろん、『強奪 箱根駅伝』(安東能明、新潮文庫)はいいんですよ。箱根駅伝が舞台で、中継中に事件が起こるというサスペンスだから。『熱海殺人事件』(つかこうへい、角川文庫)と同じで、地名の入ったタイトルがベストなんですけど、「箱根駅伝にみんなで頑張って出よう」という小説のタイトルに「箱根」って入れるなんて、愚の愚? 下の下? もうね、愚の骨頂だと思うんですよ。なので、私はもう『風が強く吹いている』というタイトルがいいと思ってたから、担当さんと押し問答のメールをしていたときに、ちょうど直木賞をいただいたんですよ。そうしたら「『風が強く吹いている』でいきましょう」って。もう何でもよくなったっぽい(笑)。そのぐらいね、ええかげんなもんなんですよ。みんな一生懸命考えはするんだけど、ええかげんなものでして。

――タイトルというのは本当に難しいもので、とくに短篇の場合だと、タイトルも込みで作品になっている、タイトルは第1行だ、という人もいますね。

三浦 そうですね、もしくは最終行である、ともいえますね。短篇のタイトルってやっぱりすごく大事ですよね。おっしゃるように、タイトルが1行目であるかのように感じられる、あるいは最後まで読んで、このタイトルが最後の1行だったんだな、と思わせるとか、いろんな手法がありますよね。
 文章をそのままタイトルに組み込め、という意味ではないんですよ。そうではなくて、タイトルも作品の一部、という度合が、短篇の場合は強くなりますから。タイトルが何らかの象徴であったりとか。

◆美味しさを知らない人に美味しい料理はできない/パターンの中にどう工夫を込めるか/やらかし系と自慢系

――あと大事なのはストーリーですね。これは昨日もお話してくれたんですけど、しをんさんは漫画をいっぱい読んでいるから、ストーリーもたくさん知っている。僕は漫画は読まないけど小説はいっぱい読んでいるし映画もいっぱい観ているから、物語のパターンはだいたい知っている。ではどういう方向にいくか、ということですね。これはなかなかね、読んでない人はパターンがわからなくて「どうすればいいでしょうか」となる。長篇を書きたい、という人に「じゃあ、あらすじを見せて」と言ってプロットを書かせると、これがつまらない(笑)。この舞台でこの話だったら、こういう名作がある。これがある、これもある、というのを頭に入れておいて、同じ方向にいかないほうにしないといけないんだけど、それが頭に入ってないと、どうしても普通の話になってしまうんですね。

三浦 そうですね。これまで人類がたくさん作ってきた、先行する創作物を、まるで味わわずに独自でいいものを作れる人は、本当にごく一部の天才だけだと思うんですよ。ところが、小説を読まずに小説を書くという人が、このごろとても多いんですよね。それは無茶だと私は思います。
何か他の作品の真似をしろ、と言いたいのではなくて……。まず今、私たちが喋ったり書いたりしている言葉というもの自体が、別に私やあなた自身が作ったものじゃないですよね。これまで生きた人々が使って、作りあげて、言葉は今この形になっているわけであって。つまり、オリジナルがどこにあるのかなんて、わからないわけですよね。そういう言葉を使って映画や小説が作られるわけですから、完全に一から十までオリジナルな物語なんて、創作物にはありえないと思うんですよね。「これどうだろう」「面白いんじゃない」といろんな人が知恵を出し、紡ぎあげてきた様々な物語を、聞いたり読んだり見たりして、「すげえ!」と感動した人が「俺もやってみよう!」となって、続いてきたことなんですから。創作物って、そういうものですよね。先人たちの頑張りの結晶(=先行作)をふまえずに、「俺ならできるぜ」「私ならできるぜ」というのは、「その自信はどこから出てきなさるんじゃ」という気がしますね。

――もっと面白くてもっとうまく書いている作品があるんだよ、ということを、謙虚に読んで知ってね。そこで「私なんてダメだ」と引き下がるんじゃなくて、方向転換というかね、どこかしらに隙間があるんですよ。そこを狙っていけばいい。

三浦 そうそう、隙間を見つけるのは大事。あとやっぱり、読まないということは、あまり小説を好きじゃないということですよね。好きじゃないのに書いていけるほど簡単ではないと思うんですよ。何事も、好きだったらいろいろ創意工夫がわくじゃないですか。料理の好きな人だったら、レシピどおりに作るだけじゃなくて、いろんな試みをして美味しい料理を作りますよね。それと同じで、好きだから書けるという部分は大きい。なので、好きじゃないのに小説を書くのは、ご本人にとってもつらいんじゃないかと思うんです。

――これは、僕はずっと前から言ってることですが、作家が死ぬと、書店の棚からも消えるんですよね。死んだ作家の場所を埋めるというか、死んだ作家にかわってジャンルを継承する。もちろん、開高健とか、死んだ後もずっとその場所を占拠している作家もいます。池波正太郎も、藤沢周平もそうでしょう。でも、どこかに道はあるんです。
 長岡弘樹さんがデビューしたときは、横山秀夫さんがすでにいた。ものすごく本が出ていたし、売れていた。国産のミステリ史でいうなら、それまでの松本清張以前・以後ではなく、もう完全に横山秀夫以前・以後で語られる偉大な作家が活躍している。そういう時に、長岡さんもちょっと横山さん的な世界で書いていたので、このままでは横山秀夫というでっかい壁があるから無理だよ、埋もれてしまうよと思っていたんですが、長岡さんは組織の葛藤というものに、本格ミステリ系のトリックをプラスして、僕は秘かに「アイデア・サスペンス」とよんでいるんですが、そういうジャンルを作り上げた。
 そのように、先行する作家の壁というのは絶対にありますよ。そこでどう方向転換するか。それができるのは、長岡さんが実によく読んでいる人だからです。

三浦 そうそう、そうなんです。なんだかこのジャンルだとうまく筆が進まないな、というときに、どうしたらいいかと考えますよね。その、工夫する手段を発想できるか、思いつきを得られるかというのは、それまでどれだけいろんなものを観たり読んだりしてきたか、ということだと思うんですよね。一回も美味しい料理を食べたことがない人が、美味しい料理を作るための工夫はできない、ということなんです。今まで、牢屋で出される麦飯の残りしか食べたことがない、という人がいたとしたら、その麦飯を美味しくするためにどうしたらいいですか、と言われてもわかんないですよね。麦以外の何かがあることを知らないわけですから。それと同じです。

――料理って、いろいろ食べていると、「あれを入れればいいんだ」「あの材料とあの材料を合わせればいいんだ」というのが、ぽっと浮かぶようになるんですよ。小説もそれと同じで、アイデアが浮かぶようになるんですね。

三浦 そうそうそう。好きでいろいろ読んだり観たりしていると、「そういえばこういうのって今まであまりないかも」というのがわかるし、じゃあその隙間を狙おう、みたいなことを思い付けるかもしれない。もしくは、今まで観た映画の中の、あのムードとあのムードを合体させたらどうなるだろう、みたいな感じでね。

――しをんさんも、漫画も小説もいっぱいお読みになってるから、アイデアはいっぱい浮かんでくるんじゃないですか。

三浦 いやー、それがそうでもないんですよね……。でもまあ、ストーリーのあらすじ的な展開は、だいたい、こういう話だったらこうなるのが常道だろうな、みたいなのは浮かびますよね。誰でも浮かぶのかもしれないけど、映画を観ていて「ははーん、こうなるんだろうな」みたいな。ひねりを入れるとしたらAパターンはこう、Bパターンはこう、なんて思いながら観ますよね。
 ただ、ストーリーラインって、物語の面白さにとって本当に肝心な部分ではない、とも思います。ストーリー展開にはある種のパターンがありますよね。たとえば、弱小集団が頑張ってなにかを成し遂げる話って、ごまんとあるじゃないですか。『がんばれベアーズ』もそうだし『風が強く吹いている』もそうだし、あと『シン・ゴジラ』だってそうじゃないですか。今まで数えきれないほど、同じストーリー展開の作品はあるわけです。だけど、それぞれまったく違う持ち味と面白さがある。まあ『風が強く吹いている』は除くとして(笑)、あるわけですよね。
それは何かといったら、ストーリー展開のパターンではなくて、どんな味付けをしているか。どんな登場人物が出てくるかとか、成し遂げる目標は何なのかとか、細部に宿っているものこそが、それぞれの作品の独自性や面白味を醸し出しているんだと思うんです。そこをどう工夫するかが、考えどころというか。
みなさんが執筆に詰まったら、たとえば「弱小集団が頑張って何かを成し遂げる話にしよう」って決めちゃえばいいんですよ。これはもう、先行作がとんでもなくたくさんある、物語の王道の「型」なんです。それを利用しない手はない。じゃあ自分だったら、どういう人たちが何をどう頑張って、どんな挫折をしつつ、何をする話にしようかな、という順番で発想してみる。仲間の中に一人、宇宙人が混じってて(笑)、でもどいつだかわからない。そうなったら、団結の危機ですよね。そんな感じでいろいろ、スリルとか読みどころを独自に作れる。王道の「型」、ありふれたストーリー展開のパターンを使って、細部を無数に作れる、ということですよね。
たとえば犯罪集団が集まって、頑張って金庫を破るというような小説だっていっぱいあるじゃないですか。高村薫さんの『黄金を抱いて翔べ』(新潮文庫)だってそういうことですよ。『マークスの山』(講談社文庫)だって『レディ・ジョーカー』(新潮文庫)だってそうです。『がんばれベアーズ』と同じパターンなわけです。でも、それぞれがまったく異なる読み心地、物語になっています。ストーリーのパターンは、ある程度「型」があるんですよ。それを知ったうえで、どういうふうに独自の味付けをするか、ということを考えなきゃいけないんです。

――それが書き手の個性なんですよね。自分はどういうものに一番リアリティを感じるか、どういうものを書きたいか。

三浦 そうそう。そのためにはいろんな創作物を味わって、ありがちなパターンにみんながどういう工夫を施しているかを知る。先行作を楽しみながら、自分の中に引き出しを増やしていくと、自分だったらどうするかなという発想がわきやすくなりますね。

――これはいい話ですね。小説を書く人は、ぜひ参考にしてください。
時間がなくなってきたので簡単にいきますが、エッセイストとしても人気のしをんさんに、エッセイの書き方についてもうかがいたいと思います。何からネタを着想するのか、どのようにフィクションを交えて脚色するのか、など。

三浦 私はやっぱり、変なことだったり、おかしな人に出会ったり、友だちとのやり取りの中で、すごく面白い言い回しが期せずして出てきたりとか、そういう状況を書くのがけっこう好きです。そういう体験をもとにエッセイを書くことが多いですね。さっきの講評で取り上げた、財布を落として「しまった!」みたいな話も、大好物です。私も同じように、「しもた! こりゃ、やらかしたわ自分」と思った瞬間、「でもエッセイに書けるな、しめしめ」と考えてしまうときがありますね。
「すんごい印税が入ってきたんですよ」みたいなことはエッセイに書きづらいですよね(笑)。まあすごい印税が入ってきたことなんてないけど、何ていうの、自慢系? たとえば、「うちの夫は目がつぶれるかと思うほどのイケメンなんですよ」なんて、やっぱりエッセイには書きにくいと思うんですよ。たとえ事実だったとしても。でも逆に、そういうことこそ書きやすい、というタイプのエッセイストもいると思う。それはそれで「どんなイケメン? 超うらやましい!」と、読者をわくわくさせるじゃないですか。
 だから、自虐か自慢のふたつだと思います、エッセイのチャクショウっていうのは。
 ……着床だって(笑)。受精卵的になっちゃった(笑)。着想、ね。

――さっきの講評で取り上げた新堂麻弥さんのエッセイを、三浦しをん的に直すとしたらどうしますか。

三浦 さっきのエッセイだったら、もう少し時系列というか説明の段取りをスムーズにしますね。どういう状況で何が起きて、自分はなぜこんなにうろたえているのか、ということをもっとサクサクわかるようにして、旦那さんとのやり取りのほうを詳しく書く。二人のお人柄がとっても楽しいので、読者にその部分をより伝えられるようにしますね。それから、現状だと最後は、旦那さんと日帰り温泉かなんかに行って、パンツを忘れないでよかった、みたいになってますよね。私だったら、日帰り温泉に行って、さあ帰ろうか、というときに、「パンツはいてるか?」と旦那さんに言わせて終わるかな。

――なるほど、これは面白いですね。これが名エッセイストの発想ですよ。

◆最後の切り札は「シャワー」/リケジョの世界もまたこの社会/時系列と現在形

――では、今回は初めて受講される方も多いようですし、長めに質疑応答の時間を取りたいと思います。

女性の受講生 小説を書かれるペースについてお伺いしたいと思います。以前、何日もお風呂に入らずに書き続けている、とお聞きしましたが、今でもそのようなことはあるのでしょうか。

三浦 お風呂はですね、小説を書いているか書いていないかに関わらず、入らないんです。でも今日は入ってきましたから、ご安心ください(笑)。ええと、基本的に外に出ない場合はお風呂に入らない派、シャワーも浴びない派なので。だから、今は一日にあまり枚数は書いてないんですけど、やっぱり入ってないです。

――煮詰まったときにはシャワーを浴びるとアイデアが浮かぶ、という話を昨日されてましたよね?

三浦 そうですそうですそうです。そういうときのためにとっておいてあるのだ、と好意的にご解釈ください(場内笑)。最後の手段だからね、シャワーは。それでダメなときは本当にダメだよね。でもまあ、そこまで煮詰まって浴びたら、だいたい浮かびますね。

女性の受講生 三浦先生は今、読売新聞に連載をされていますが、新聞連載において注意されることはどこでしょうか。また、その作品において男性と女性について書かれていることについても、どのような意図があるのでしょうか。

三浦 今ちょうど読売新聞に連載しているのが、植物学をやってる大学院生たちの話なんですね。『愛なき世界』という小説なんですけど、最初は男性の登場人物の視点で話を進めていたのが、今は視点人物が変わって、女性の大学院生の目から物語が語られているんです。研究室の中で女性は、その語り手の子と、もうひとり先輩がいるんです。あとは男の人で。それで、別に学問をするうえでは男女差なんてないし、男女で扱いが違うとかもちろんないんだけど、プライベートの悩みとか、そういうものは、歳の近い同性の先輩がいるおかげで言うことができるからよかった、というシーンを書いたんです。ご質問は、その部分についてかなと思うんですが。
 実際には、私は理系のことを全然知らないので、大学の理系研究室をいろいろ取材させていただいてます。そうしたら、予想以上に女性が多くて。植物とか動物とかの生物系だと、半分ぐらいは女性なんですよ。これは分野によってちがいがあって、たとえば機械工学とか電気系とかは男性が多いらしいんですけど。でも、これからの時代は変わってくるでしょう。
 たとえば、女性は数学が苦手、みたいに思われたりしますけど、当然ながら数学の苦手な男性だっているわけだし、性別は関係ない。女性も理系の分野で活躍されてるのが現状ですから、それが伝わるように書いているというのもあります。また、そうは言っても大学の中ではまだまだ男性が大勢を占めてもいますから、頼れる女性がいると嬉しいよね、という気持ちを書きたかったというのもありますね。これは男性だって同じだと思うんですよ。女ばかりの会社にぽつんといたら、誰かに相談したくてもできない、ということもあるかもしれないですよね。そういう思いから書いたシーンです。

女性の受講生 講評で取り上げられた市原さんのエッセイでは、現在形の畳み掛けがおさまりを悪くしている、とのことでしたが、これは時系列を整理すれば現在形でもうまくおさまるものなのでしょうか。

――これはケースバイケースですよ。このエッセイでは、これはまずいでしょう。

三浦 そうですね。この場合、冒頭に現在形の三連発、四連発というのは、まだ状況を把握できていない読者を無用にせっつく感じがあって、あまり効果的ではないかなと思います。
 たとえば最初の3行を、少し後ろに移動させる。現状の4行目、「体育の授業の後、滴る汗をタオルで拭いていると汗の色がどんどん黒くなっていった」を冒頭にするんです。そうすれば、「こりゃ大変な事態だぞ、頭に塗っていたマジックペンが溶けて流れてしまっている」と読者は状況を把握できて、語り手と気持ちを共有できます。「一刻も早く教室から逃げ出して、トイレに向かわなきゃ」と、語り手と一緒になって思うわけですよね。そういう段取りを踏んだ後なら、「教室から逃げるようにトイレへと向かう。後ろからは大きな笑い声が聞こえてくる」云々と、現在形を連続させても全然いいと思う。

◆連載というものの宿命/とにかく前に進める、そして推敲する/取材の極意・何を見るか、どう見るか

女性の受講生 先ほど連載の話が出ましたけど、連載って数年に及ぶこともあって、一気に書き上げるわけではないですよね。そのときに、ストーリーが展開していくうちに、ご自身の理解も深まるでしょうし、当初の予定とは違う方向に行ってしまったり、矛盾が生じた部分を書き直したり、というようなことにどう対応されているのでしょうか。

三浦 連載の最初から最後まで、ストーリーラインをきちっと作ってしまうタイプの小説もあります。あるんですけど、たいがいは「この話、どうなるのかな」と思いながら連載しているわけなんですよ。先が見えない状態で連載してるんですよね……。なので、おっしゃるとおり途中で、「しもた! 矛盾が生じておるわ!」ということもあると思います。でも、そんなときは、そんな矛盾などないかのように押し通すしかありません(笑)。しょうがないですよ、だってもう発表してしまったんで、雑誌や新聞を回収するわけにもいかないから、「まあみんなそんなに細かいところまで覚えてねえだろ」ぐらいな心持ちで(笑)書くしかないと思います。連載が終わったら、それを本にするときに、私はけっこう手直しします。その手直しにむっちゃ時間がかかるせいで、本が全く出ないという状況に陥っているんですけど。
 今、本にしたいなと思って手直ししているものも、後半3分の1ぐらいは書き直したくて。それというのも、連載しているうちに、自分が思っていた展開とは違う方向に行き過ぎたんですよね。そこを変えたい。逆に前半部分を書き直したいというときもありますし、いろいろですね。単行本化の際の手直しは、わりとみなさんやってるんじゃないかと思います。
 プロアマ問わず、書いてるときは勢いやノリも大事なので、多少の矛盾には目をつぶってでも、とにかく話を先に進めることがけっこう大事だと思います。
 でも、いったん書き終わったら、絶対に推敲する。人に読ませる前に、して当然のことです。連載の場合も、原稿を推敲するのはもちろんのこと、毎回ゲラを確認して、手直ししてから掲載の運びとなります。それでも矛盾を見逃してしまったり、当初の考えとちがう方向へ行ってしまっているのを、うまく軌道修正できなかったりすることがあるんですが。
 応募原稿は「この一度」に賭ける勝負作でもあるわけですから、書き上げたら何度も推敲するというのが、絶対に必要だと思いますね。

男性の受講生 取材をされるときには、どういったことをどういったポイントで聞かれているのでしょうか。『舟を編む』の文庫解説で書かれていたのが「3時間ぐらいの取材でこれだけのものを書かれるのがすごい」というようなことだったのですが、そういったところを教えていただければと思います。

三浦 辞書の作り方については、けっこういろんな本があるんですよ。辞書の編集をされていた方の本とか。そういうものを読んでいたので、作り方の手順はなんとなく把握していました。なので、『舟を編む』の取材の場合は、辞書づくりの手順については最低限のことだけ聞けば把握できた、というのはあります。
 では、取材の時間で何を見てきたかというと、実際に辞書を作っていらっしゃる方たちのムード。同僚の人とどんな感じでお話するのかとか、何に興味がおありなのかとか、辞書のどんなところが好きなのか、とか。あと辞書と関係なく何が趣味なのか、とかそういうことをうかがってましたね。雰囲気、ムードを見たかった。実際に作っている方たちのムード、編集部内のムードみたいなものを、見たかったというのはあります。
 たとえば文楽(人形浄瑠璃)の本を書いたときとかは、楽屋のムードも見ますし、実際どんな感じで修業なさっているのかとかも見ますし、出番前の楽屋でどう過ごされているか、ということも見ますし、とても一回や二回の取材では終わらないので、かなり年月をかけて取材させていただきました。箱根駅伝もそうですね。取材にかかる時間は題材によりますが、やっぱりムードを見ることが多いですね。

――まだまだお聞きしたいところですが、残念ながら時間となりました。今日は長時間、本当にありがとうございました。
(場内大拍手)

【講師プロフィール】

◆三浦しをん(みうら・しをん)氏
1976年、東京都生まれ。2000年、小説『格闘する者に○(まる)』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞。2012年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。スポーツ小説の名作『風が強く吹いている』ほか『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』など、エッセイに『悶絶スパイラル』『ビロウな話で恐縮です日記』など多数。現在、Cobalt短編小説賞、Cobaltノベル大賞、R-18文学賞、松本清張賞、小学館ノンフィクション大賞の選考委員を務める。

 

「その人の素顔」の書影 amazon 版
●『秘密の花園』(新潮文庫)
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●『神去なあなあ日常』(徳間文庫)
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●『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)※直木賞受賞
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●『舟を編む』(光文社文庫)※本屋大賞受賞
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●『風が強く吹いている』(新潮文庫)
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●『仏果を得ず』(双葉文庫)
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●『日本文学全集10』(池澤夏樹個人編集/河出書房新社)※三浦しをん訳『菅原伝
授手習鑑』所収
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●『あやつられ文楽鑑賞』(双葉文庫)
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●『「罪と罰」を読まない』(三浦しをん・岸本佐知子・吉田篤弘・吉田浩美、文藝春
秋)※ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことがない四人が、果敢かつ無謀に挑ん
だ「読まない」読書会。
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●『かむさりやまのおまじない』(三浦しをん原作、山岡みね/文・絵。徳間書店)
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