村上春樹氏のような比喩表現を習得したい。そんな願いに少しでも応えられれば、と前回の「名文を真似る」は「村上春樹氏に学ぶ比喩表現 その1」と題し、村上春樹氏ならではの表現例を紹介しました。ですが、比喩についての理解は深まったとしても、実際に文章にするのは容易ではありません。そこで今回は実践面で役立つ比喩についての文章法をいろいろ考えてみました。

谷川俊太郎氏の『詩ってなんだろう』に収められている「なぞなぞ」の一つに、こんなのがあります。

 

 ふかいたにまから ふえをふいてでてくるものは?

 

韓国のなぞなぞだそうですが、ぼくは毎日小学生新聞主催の「親子で学ぶ作文教室」で先のなぞなぞの答えを聞いてみました。子どもたちの手が上がらないのを見て、後方の席のお父さん、お母さん、おわかりですか? と声をかけると、一人のお父さんが「おなら」と答えてくれました。子どもたちの席から、あっ、そうだ、といった声が漏れていましたが、ここに比喩表現を学ぶ上での一つのヒントがあります。なぞなぞ遊びです。

見たり、聞いたりしたものには、それなりに得られる印象があります。何かに似ている。何かを想像させる。それらの印象を言葉で表し、なぞなぞにしてみる。すると、そのなぞなぞはそのまま比喩表現になることがあります。文例を挙げてみましょう。

 

 木枯らしに吹き飛ばされている木の葉が、木から一斉に飛び去る雀のように見えた。

 

公園のケヤキ並木を散歩していた時のぼくの体験ですが、これは次のようになります。

 

 木枯らしに吹き飛ばされている木の葉のように見えるもの、なーんだ?

 

 → 木から飛び去った雀の群れ

 

つまり、見聞(体験)した物事をなぞなぞにして自ら問いかけられれば、それはそのまま比喩にもなるわけです。

比喩表現のトレーニングにもう一例、挙げておきましょう。

 

海沿いの公園にアメリカディゴという温暖地の木が何本も植栽されています。冬になると、小枝はばっさり切り落とされますが、その切断面がもこもこと力こぶのように見えます。さながらボディービルで体を鍛えた巨人たちが、さまざまなポーズで互いの筋肉を誇示して競い合っているようです。

これはぼくの印象ですが、ここはみなさん方で比喩になるなぞなぞを考えてみてください。

 

ところで村上春樹氏の比喩表現は、“なぞなぞ比喩”ということではどうなのかですが、例えば『1Q84』で同様の比喩を挙げるなら次の一文でしょうか。

 

 雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた。

 

なぞなぞにすると、こうなります。

 

 音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させているもの、なーんだー?

 

→ 電線の雀

 

ぼくは毎週一回、毎日新聞(夕刊)で「しあわせのトンボ」と題したコラムを書いています。先日はこんなことを書きました。

ケヤキの枯れ枝に鳥がとまっている。一羽だけかな、と思ってあたりを見ると、細かく枝が分かれて伸びている上方にもう一羽、同じ鳥がとまっていた。眺めているうちに、淡彩で描いた一幅の日本画を見入る気分になった。

どうやらぼくらは知らず知らずのうちに、なぞなぞ比喩を書いているんですね。

 

改めて言うまでもなく、なぞなぞは日本人に古くから根づき伝承されてきた言葉遊びです。

 

 段々畑白畑 → 障子

 一段畑に豆ひとつ → へそ

 夜空に皿一枚 → 月

 

もちろんなぞなぞには他愛ないものもあります。

 

あたっても悪くないばちは? → 火ばち

パンダのおやつは? → パンだ

 

といった類ですが、それはそれとして物事を何かに例える資質は、遺伝的にぼくらには備わっているといってもいいのではないでしょうか。その自覚と共に自信をもって比喩表現に取り組んでほしいと思います。

前回も書いたことですが、リアルなものとのズレはユーモアとなって文章に妙味をもたらします。物真似芸がなぜおかしいのか。それは特徴を誇張しているからです。比喩同様ズレぐあいのおかしみです。

堅苦しい文章より、気持ちを晴れやかにしてくれる面白い文章を、とこれまでぼくが主宰した文章教室では強調してきました。その文章法の一つに“なぞなぞ比喩”があります。なぞなぞにするつもりで物事を見れば、観察力にも磨きがかかり、文章力も一段とアップする。そうして文章に面白味が加わるのなら、励もう“なぞなぞ比喩”を、ですよね。
以上、見たもの、聞いたものを中心に比喩表現を考えてきましたが、具体的な物事を引き合いに出す例えは、平和とは?生きよとは?といった概念にも当然求められます。名文というのは、そういう例えにおいて一層際立つものです。

 

そうそう、村上春樹氏の最新作『騎士団長殺し』では、早々とこんな文章に出会います。

 

 私は雨降りを眺めるのをやめて、彼女の顔を見た。そしてあらためて思った。六年間同じ屋根の下で暮らしていても、私はこの女のことをほとんど何も理解していなかったんだと。人が毎晩のように空の月を見上げていても、月のことなんて何ひとつ理解していないのと同じように。

 

次回は、村上氏の文章をはじめ作家の名文とともに比喩表現の世界を押し広げ、何をどう例えるかをみなさんと一緒に学びたいと思っています。

 

 

 

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