1月1日

 あけましておめでとうございます。
 という訳で早速年賀状を確認すると昨年よりも増えていた。返事を出さねばならないのだが原稿優先だ。果たして時間的な余裕があるかどうか。
 息子は明日から練習があるとかで、ひと足早く東京に戻る。その様子を見ていた妻は、
「まるで売られていく牛みたい」と形容した。何だそれは。
 11時、同窓会に出掛ける。もう40年近く続いているので恒例行事と化しているのだが、同窓会といってもメンバーは僕を含めた数人にそれぞれの家族という、ごく少人数。それにしても元旦営業の店が増えた。利用する側は便利で助かるのだが、店側のローテーションも大変ではないかと要らぬ心配をしてしまう。
 帰宅して執筆再開。同業者さんたちのツイートを眺めていても完全オフの人は数える程度。やはり盆暮れ正月のない仕事だと実感する。 
 17時、妻方の実家で新年会。昨年『校閲ガール』が流行ったためか、ゲラ直しや校閲さんのことで親戚から山のような質問を受ける。
「何で、原稿のことゲラって言うんですか」
「あんな風に校閲さんが直接作家さんに会ったりするの」
「やっぱり、あんな風に赤ペンが入るの」
「校閲さんは収入がいいのかな」
 目立たぬ職業にスポットライトが当たるのはいいことだけど、それにしてもドラマ化効果は絶大と感じた次第。

1月2日

 8時、中部国際空港に到着。本日より2泊3日で台湾に出掛ける。搭乗時間がくるまでラウンジでパソコンを開き、原稿を書き続ける。
 機内に場所を移し、執筆を続けようとしていたところCAのお姉さんからシャンパンのサービスを受ける。これがよくなかった。というよりも大晦日からまともに睡眠をとっていなかった報いが今頃きた。普段はアルコールが入っても一向に眠たくならないのに、この時ばかりはアウト。ふと気がつけば、台北空港に向けて飛行機が高度を下げている最中だった。
 11時、台北空港に降り立つ。日本を出た時にしていたマフラーを剥ぎ取る。何ちゅう暑さだ。まるで初夏ではないか。前回と同様101の展望台まで上がった後、ホテルにいったん荷物を預ける。で、ここから夕食に夜市へ向かうのだが、今回は娘を同行させている。英語と中国語習得のため語学留学させており、今回は通訳として連れてきたのだ。実際、露天のおっちゃんとの会話も流暢にこなし、我が娘ながら非常に頼もしい。外大に通わせた甲斐があった(そこかよ)。夜市はB級グルメのメッカみたいなところだが、メニューに掲げられた写真はどれもこれも昭和の時代に撮ったのではないかと思われるほど古く、それだけ見ても美味いのか不味いのか皆目見当もつかないのだが、娘は上海でこういうモノを食べ尽くしており、ここでも優れた水先案内人。小龍包などで腹を満たした後、ホテルに戻り執筆を再開する。

1月3日

 今日は閲兵式を見学した後、故宮博物館と九份を回る予定だったのだけど、原稿が遅れているため急遽僕だけはホテルに残って仕事を続けることにした。こんな風に、仕事のできないヤツは家族との触れ合いさえ許されないのだ。
 何と言うか贅沢なカンヅメ状態であり、お蔭で執筆が思った以上に捗る。捗り過ぎて昼食も夕食も忘れてしまった。これを知ったらまた妻は呆れるだろうけど、これはもう業みたいなものだから諦めてもらうより仕方ない。
 21時、妻と娘がびしょ濡れになって帰ってくる。
「九份で土砂降りになったー」
「二人ともホテルに備え付けの傘を持って行ったんじゃなかったのか」
「途中まで降ってなかったから、油断して預けておいたのー」
 ご存じの方もいるだろうが、九份というのは細い路地と狭い石段で構成されている。普段でも人一人がやっとすれ違える程度の広さしかない。そんな中、土砂降りになったらどんな状況になるかは容易に想像できる。
「大体さ、お父さんてこういう時、いっつも災難から逃れているよね」
 雨までわしのせいかい。
 聞けば行った先で、娘が中国人にナンパされかかったらしい。
「連絡先教えてくれって。断ったけどさ」
 父親としては誇らしくもあり、怖ろしくもあり。

1月4日

 台湾旅行最終日。ようやく原稿を一本仕上げ、担当編集さんに送信しておく。ちょうど今日が仕事始めなので、何とか間に合ったかたち。
 一段落ついたので、足つぼマッサージなるものをお願いしてみる。僕は生来の肩凝りで、サラリーマン時代も「鎧を着たような肩」と称されていた。それが物書き稼業となり、更に悪化した。その上五十肩というのだから始末に負えない。
 そこで足つぼマッサージである。90分、日本円で約八千円なのでずいぶん割安な印象。まず全身を蒸しタオルで温めた上で二人がかりのマッサージ。所謂痛気持ちいい刺激が続く。僕は前述の通りの体質でしかもマッサージの効果もあまり感じない〈鉄の男〉なのだが、これは違った。終わってみれば五十肩も楽々上がり、体全体も軽くなったように思う。僕の行ったマッサージ屋さんは日本人旅行客にも好評らしく、待合室の客は全員がそうだった。著名人のサインもあったので、相応に有名店でもあるのだろう。
 14時、台北空港で帰宅の途に着く。自覚しておらずとも疲れていたのだろう。離陸直後から熟睡してしまったらしい。帰国すると、案の定ケータイにはメール着信が3通、留守番電話が4本入っている。自宅の書斎に戻り、全てに返事をしておく。文藝春秋Iさんからメールあり。「オール讀物」連載用の『静おばあちゃんと要介護探偵』は一発OKとのこと。ほっとひと息吐いた後、他の原稿に着手する。

1月5日

 僕にも経験があるのだけれど、仕事始めというのは実質新年の挨拶会のようなもので、通常運転とは程遠い。翌日からが本格的な始動になる。
 そんな訳で今日はいきなり数社から電話やメールが届く。
『ゲラ直しは明日でどうですか』
『プロットの締め切りは明日です』
『インタビューの骨子が決まりました。目を通しておいてください』
『次回原稿の締め切りは15日です』
『いつまで正月だと思ってんだ』
 心を落ち着かせるために『グラン・トリノ』を観賞する。偏屈な老人がふとしたことから隣に越してきたヒスパニックの一家と交流を深め、やがて一家の揉め事に否応なく巻き込まれていく――監督を兼任している主演のクリント・イーストウッドがとてもとてもいい。差別意識丸出しの毒舌オヤジだが、ちょうど初校の見直しをしている小説の主人公に重なる。昔は多かったんだよあ、こんな風に家族や近所から嫌われる偏屈者で、それでも存在感は抜群のクソジジイ。
 以前、島田荘司さんにこんなことを予言されたことがある。
「中山さんはねえ、そのうち和服でも着て新人作家さんたちを叱り飛ばすようになるんじゃないかなあ」
 そういう嫌われ者に憧れていたので、僕は何度も頷いたものだ。
 あれ? ちょっと待てよ。
 そのうちどころか、もう現時点でかなり嫌われているような気がするのだが。

1月6日

 各社からの督促が厳しくなってきたので東京に戻る。予想通り郵便ポストは見本誌や賀状で溢れ返っている。この整理だけでも一時間。
 15時、光文社Mさんとゲラ修正、3分で終了。後は例のごとく雑談。聞けばK編集長も『この世界の片隅に』にいたく心を動かされ、会う人に洩れなく観賞を勧めているとのこと。口コミが広がっているのをリアルに目撃するのはそうそうあることではないので、少し嬉しくなる。五月刊行予定『秋山善吉工務店』についてジャケットをどうするのかを相談。いつも通り先方に丸投げしておく。ライトノベル作家さんの中には、自分の作品だからと絵師さんや帯まで指定する人もいるらしいが、僕は素人が口を出して碌なことはないと思っているクチなのでこうしている。もちろん、どちらがどうということはないのだけれど、今の時点では功を奏しているように思う。
 16時、祥伝社Nさんとゲラ修正。こちらは専門医師の監修があるために大きな修正点があり15分も費やしてしまう。しかし毎度毎度思うのだが、作家さんの中には現役医師が山ほどいるというのに、何故僕のような者が医療ミステリなどを書いているのか。
 雑談をしていると、作家の筆が荒れるケースに話が及ぶ。
「あまり多作でなかった人が何かの文学賞を獲ると、急に仕事が舞い込んできます。今まで多作の訓練をしてこなかった人は荒れることがありますよね」
 そして荒れた作品で、結局は評価を下げてしまう。折角賞を獲得したというのに、却ってそれが仇になってしまうのだ。

1月7日

 新連載用の長編プロットを練っているのだが、これが全く欠片も思い浮かばず。ただ座っていてもどうしようもないので、外出し、書店を巡り、映画を観てもやはり何も浮かばない。担当の編集者さんからは矢のような催促である。同業者の方なら分かってもらえると思うが、塗炭の苦しみというのはまさにこれではないのか。飯を食っても味が分からず、これに雑誌締め切りが重なると強迫観念まで襲ってくる。自分の才能に疑問が湧き、電車の線路が妙に恋しくなる(はっ)。
 本当にどうしようもなくなったので、棚にあったブランデーをがぶ飲みする。するとまあ何ということでしょう。一気にアイデアが湧いてきたではありませんか。何とかラストまで思いついたのでプロットにまとめてみる。うん、何とかなった。
 こんなことを繰り返していたら絶対長生きはできないだろうが、まあ仕方がない。ゼロからモノを創るというのは何でもそうなのだけれど本人から何かを削っていく。それが健康だったり精神だったり財産だったりという違いがあるだけだ。作家さんの中にジム通いやランニングを日課にしている人が少なくないのは、この辺の事情と無関係ではない。正直、真っ当で平穏な人生を歩みたいという人に向いていないのは確かなのだろうなあ。

1月8日

 これは同業者の方でもよくあることなのだが、一つプロットが浮かぶと続いて別のプロットが不意に浮かぶことがある。おそらく頭がそういう方向に特化しているせいだろう。昨日に引き続き、懸案だった編集者さんからのリクエストがみるみるうちに形を成してきた。本来なら今日から短編100枚の執筆に着手する予定だったのだが、流れに任せて新しいプロットを組み立てることにする。
 PHP研究所さんからリクエストのあった鉄道ミステリーには、実際難渋していたのだ。今まで書いてきた小説は大なり小なり興味なり知識なりがあったのだけれど、これが鉄道となると本当に何も浮かばなかった。わずかに鉄ヲタさんたちについての興味があるだけだったのだ。だからといって鉄ヲタさんの生態だけを扱って肝心の鉄道についての思い入れなり描写がなければ、鉄道ミステリーとしては不充分であるような気がしていた。
 でも、このプロットなら鉄道ファンの感興を殺ぐことなく、しかも不穏な空気を作品の中に持ち込める。非鉄ヲタの読者も手に取ってくれるかも知れない。
 出来のいいプロットというものは手応えが違う。特徴としてはすぐにタイトルが思い浮かぶ。タイトルが浮かびやすいのは作者自身に全体のイメージができあがっているからだ。そんな訳で、このプロットは(完成度は未知数としても)とても筆の進む内容であるのが今から予想できる。やれありがたや。因みに仮タイトルは『帝都地下迷宮』としておく。
 映画『この世界の片隅に』は絶好調。既に興収は10億円を突破し、未だベスト10位以内に踏みとどまっている。この状態が続けばロングランも視野に入ってくるだろう。一方、この映画に対する批評も色んな方向から出てきた。優れた作品は何通りもの読み方、幾層もの解釈が可能なのでこれは当然なのだが、中には我田引水よろしく同作品を右や左に寄せて解釈する向きがある。解釈の仕方は観客に委ねられるので間違っているとも愉快不愉快とも思わないのだけれど、映画に対する政治的解釈というのは往々にして独善的で底が浅くなる傾向にあり(元々政治イデオロギーというもの自体がそれほど高尚でもなければ高邁でもない)、評した人間の思考力や映画的教養も露呈してしまう危険性があることは心に留めておいた方がいい。右や左に絡めなければ映画の感想一つ言えないというのは、自分の言葉を持っていないからだ。借り物の政治思想を口にして、自分が一端の論客にでもなったかのように錯覚しているだけなのだと思う。実際、そんな単純なアプローチだけで読み解けるような作品だったら、こうまで幅広い年齢層に受け容れられ、とんでもない回数のリピーターを生むはずがないのではないか。

1月9日

 14時、文藝春秋社Iさんとゲラ修正。5分で終了。新連載『静おばあちゃんと要介護探偵』は初回100枚と大盤振る舞い、以降分載を挟むものの、全体のペースとしては1回100枚掲載になるとのこと。要介護探偵というのは『さよならドビュッシー』に登場させた頑固一徹のジジイなのだが、今回は静おばあちゃんとタッグを組ませようという試み。無論、宝島社さんには仁義を通している。
 掲載誌が「オール讀物」ということには感慨深いものがある。中学の時分から定期購読していたという事情もあるが、この文芸誌に連載することで一つ約束が果たせるからだ。
 デビューして最初に連載が決まったのは「別冊文藝春秋」だった。僕は「このミス」大賞受賞の知らせを受けた直後、「中山七里三年計画」なるものを作成した。そのうちの一つが文藝春秋・新潮社・講談社・角川書店・集英社の五社から連載を勝ち取るというものだった。
 単純に嬉しかったので選考委員の一人である茶木則雄さんにお会いした際にその報告をすると、茶木さんからは、「でも、オール讀物に連載するくらいにならないとね(大意)」と返された。つまり「オール讀物」に連載するというのは一種のステータスであり、大賞受賞者を生み出した選考委員の一人として「そういう作家になれよ」という励ましの言葉だったのだと思う。僕は「分かりました」とだけ返事をした。茶木さんがどう受け取ったのかは分からないのだけれど、僕にしてみれば約束だった。今回、その約束を果たせてほっとひと息つけたというのが正直な気持ち。実は茶木さんからはその他にも色々な無理難題を約束させられているのだが、さていつ履行できることやら。

1月10日

 10時、KADOKAWA Fさんとゲラの修正作業。5分で終了。次いで今月から「野性時代」にてスタートする新連載プロットについて再確認。
「普通っぽいのがとてもよかったです」
 今までそういう褒められ方をされたことがないので少し戸惑う。つまり大がかりなトリックや誇張されたキャラクターで引っ張る訳にはいかず、ただひたすら心理描写だけで500枚を書き上げることになる。まあ何とかなるだろう。
 昼食を摂っているとPHP研究所のYさんより電話。先に上げておいたプロット、面白そうなのでそのまま進めてほしいとのこと。やれやれ、これでプロットが二つ片づいた。デビュー以来、ボツをくらったことはまだなく、これでまた記録を更新できた(いったい僕は何と闘っているのだろうか)。
 キネマ旬報が『この世界の片隅に』を2016年の日本映画ベストワンと監督賞に選出。映画を観た人間でこの結果に納得しない者はおそらくいないのではないか。そしてキネ旬ベストワンがこれほど寿がれた作品も珍しいのではないか。この映画は観客が応援したくなる。他の配給会社はその辺りの構造を分析するべきだと考えるのだけれど、これは余計なお世話なのだろうなあ。危機感を抱いている真っ当な会社なりプロデューサーなら、とっくの昔に考えているはずだもの。

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