『グラスホッパー』では自殺をうながす「自殺屋」や、人を押す「押し屋」という職業人を書きたいと思ったので、最初に彼らを書いたらもう満足してしまいました。編集者に「基本的に小説は目的か謎で引っ張っていくもの」だとアドバイスされて、「あ、どっちもない」って悩みました。そう考えると、設定ありきで書くのは僕の場合、うまくいかないんです。書きたい場面があって、しかもその場面が物語の後ろにあればあるほど、どんどん筆を進めないといけないので、それがいちばん、僕の場合はうまくいくパターンですね。

 

 それにしても『アヒルと鴨のコインロッカー』しかり、『陽気なギャングが地球を回す』しかり、連作集『チルドレン』の第一話「バンク」しかり、冒頭に強盗、特に銀行強盗のシーンを描くことが僕の作品では多いんですよね。これは、それしか書けない、ということもあるんですけど(笑)、現実から微妙に浮遊している〝摑み〟を考えると、やっぱり急に暴力的なことが起こるのが、フィクションならではの期待感を煽るはずだと考えて、それで結局、思いつくのが強盗なんですよ。あるときウチの奥さんに「開き直って、あなたの書く小説は、全部そうしちゃえばいいじゃん」と言われたこともあるくらいで。僕の場合は、暴力的で且つ現実的な光景を考えたときに、殺人か強盗かの二択になってしまうことが多いですね。とにかく冒頭に〝動き〟のある場面、物事が転がりだす場面を持ってこようとしています。

 

 ただ、「暴力的」とはいっても、僕が意識しているのは、そういう暴力的な要素を持ち込む反面、でもこの先それを深刻に描いていく作風ではないんだよ、というのも伝えたいってことなんですよね。だから、書店は襲うけどボブ・ディランを歌うとか、銀行強盗をしながら演説をぶつとか、〝暴力的だけど、意外とユーモアがありますよ〟と仄めかせればいいなあ、と思っています。
 ハリウッド映画は、だいたい最初に〝摑み〟のシーンを持ってきます。主人公が活躍するシーンなどはその典型で、それはパターンとして確立されていると思うんです。『陽気なギャングが地球を回す』のオープニングはハリウッド映画的で、最初に主要キャラクターを読者に見せる段取りです。でも、やっぱり小説は「文章」なので、「春が二階から落ちてきた」みたいな〝摑み〟を独自で考えるほうがいいな、と僕は思っています。だからなのか、『グラスホッパー』のときもそうなんですが、譬え話を援用した書き出しもけっこう多いんです。

街を眺めながら鈴木は、昆虫のことを考えた。夜だというのに、街は明るく、騒がしい。派手なネオンや街灯が照り、どこを眺めても人ばかりだった。けばけばしい色をした昆虫がうごめいているようにしか見えない。不気味さを感じて鈴木は、大学の教授の言葉を思い出した。十年以上前、学生の頃に聞いた言葉だ。
「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類じゃなくて、むしろ虫に近いんだよ」とその教授は誇らしげに言い切った。「蟻とか、バッタとかに近いんだ」
「ペンギンが密集して生活しているのを、写真で見たことがあります。ペンギンも虫ですか」と質問をしたのは、鈴木だった。悪気はそれほどなかった。

教授は真っ赤な顔で、「ペンギンのことは忘れろ」と吐き捨てた。

《『グラスホッパー』/角川文庫p.5》

 小説は「読まれる」ものですから、映画とはぜんぜん違う手法が必要です。映像的な描写をすると、すぐに三ページぐらいになってしまいますが、それでは長過ぎます。もし、目の前に読者がいるなら「これって面白そうでしょ?」と訊ねてみて、「つまらないよ」って言われても、「でもさ、ここが良いじゃないの」と説明を加えることができるんですけど(笑)、小説だとそれは不可能ですよね。だから、「読者は優しくない」と僕は悲観的に思っていて、どうにかして最初のほうではっとさせたいな、読者の心を摑む〈場面〉や印象に残る一文を書きたいな、と考えているんですよ。まずはこっちの車に乗ってもらわないといけない、というか。ナンパしたことないですけど、同じじゃないですかね(笑)。初対面の人に、とりあえず自分の車に乗ってもらうために頑張らなきゃいけないというか。ナンパならまず相手を笑わせるんですかね? 小説も笑わせたり、驚かせたり、はっとさせたほうがいいと思うんです。だから、物語の冒頭で〝摑む〟のは意図的にやったほうが、僕は良いと思いますし、新人賞に応募する場合は、特にそうだと思います。

 

 冒頭について、最後に一つだけ。これは個人的な好みなんですけど、僕は「プロローグ」って打たれてしまうと、あまりワクワクしないんです(笑)。「あ、これプロローグなのね」と思ってしまうと、あまり気を入れて読めない性質なんです。できれば、いきなり物語の中に投げ込んでほしい。「プロローグ」っていうと、なんだか雰囲気だけ読まされているような気がして、ちょっとノってこないんです。どうせ最後まで読まないと意味のわからない〝思わせぶり〟じゃないか、と冷めてしまうところがあったりもして。「エピローグ」は、読んできた流れでアリだと思うんですけど、「プロローグ」は作者が準備運動のストレッチをしているような気がして、「そんなことより早く試合! ゴング、ゴング!」と思ってしまう(笑)。もちろん結末まで〝試合〟を観れば、あとからVTRで再確認して、「ああ、ゴングが鳴る前にこんなストレッチをやってたんだな」と感心するんですけど。新人賞の応募原稿を、「プロローグ」から書いている人がいるのかどうか、多いのかどうかもわからないんですけど、あまりいいやり方ではないような気がします。「プロローグ」を省いて、いきなり読者を巻き込んじゃおう、と意識することで、独りよがりで作者本人だけが盛り上がっているような危険性を回避できるように思います。

 

 僕の短篇集『フィッシュストーリー』の表題作で、売れないバンドのボーカリストがレコーディング中に思わず漏らす台詞に、「これは誰かに届くのかなあ」というのがあるんですけど、不安で、でも届いてほしい、という気持ちで創作物というのは出来上がるのかなあ、と思うんですね。僕は、デビュー前は特に、書店に自分の本が並んでいて、それをどうやったら読者に手に取ってもらえるか、とよく考えていました。あまりに本がたくさん並んでいるので。だから、そのためにはタイトルと書き出しが重要だと思ったんですね。なんというタイトルの本で、どんな書き出しの本なら僕は手に取るだろうかと想像していました。〝誰かに届けたい〟という思いがたぶん、一番大事なように思います。

 

(聞き手/構成・佳多山大地)

※この連載は、『ミステリーの書き方』(幻冬舎文庫)に収録されたものです。

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