『重力ピエロ』は、まず母親がレイプされた結果、生まれてきた子供を「春」という名前にしようと決めました。「春が二階から落ちてきた」は、その「春」からのインスピレーションで出てきた一文ですね。『重力ピエロ』というタイトルが先行していて、そのあとに兄弟の設定ができて、それから「春が落ちてきた」って書き出しが浮かんだんです。でも、これではあまりにファンタジーのような気がして、「二階から」という状況説明を加えることでバランスをとりました。「春が二階から落ちてきた」っていう一行目が決まると、それにつづく言いわけの部分はスラスラつながっていきました。

 小説の書き出しのカッコ良さを思い浮かべるとき、学ぶところが多かったのは大江健三郎さんで、『叫び声』など特に印象深いですね。そこでは、フランスの哲学者の言葉が引用されています。僕が登場人物の吐く警句やことわざを書き出しに援用するのは、その影響なのかもしれません。また、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』の書き出しは、自分の兄弟を紹介するのに、こんなふうに可愛い語り口があるのかと驚かされました。「この物語は、こういうふうに語られていくんだ」という期待がふくらんで、それで読み始めたんです。

 ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ。
《『叫び声』大江健三郎著/講談社文芸文庫p.7》

 

 父さんが熊を買ったその夏、ぼくたちはまだ誰も生まれていなかった──種さえも宿されてはいなかった。一番年上のフランクも、一番騒々しいフラニーも、その次のぼくも、ぼくたちの中で一番年下のリリーとエッグも。父さんと母さんとは、おたがい同士、生まれた時からずっと知っている幼ななじみだったが、フランクがいつも言う、二人の〝結合〟は、父さんが熊を買うまで起らなかった。
《『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳/新潮文庫p.7》

 

 じつは僕にはコンセプトというか、設定ありきで書いた作品があります。例えば『陽気なギャングが地球を回す』では四人組の強盗を書きたい、『グラスホッパー』では三人の殺し屋を書きたいといったものですが、これはたいていうまくいかないパターンなんですよね(笑)。やりたいことが最初で終わってしまうのが、その理由だと思うんですよ。設定ありきの『陽気なギャングが地球を回す』のときは、「銀行強盗は四人いる」っていうのがそもそも考えていた書き出しなんです。とはいえ、書き出しがそれだと、やっぱりあまりに素っ気ないように思って、前にいろいろ足しました。

 二人組の銀行強盗はあまり好ましくない。二人で顔を突き合わせていれば、いずれどちらかが癇癪を起こすに決まっている。縁起も悪い。たとえば、ブッチとサンダンスは銃を持った保安官たちに包囲されたし、トムとジェリーは仲が良くても喧嘩する。
 三人組はそれに比べれば悪くない。三本の矢。文殊の知恵。悪くないが、最適でもない。三角形は安定しているが、逆さにするとアンバランスだ。
 それに、三人乗りの車はあまり見かけない。逃走車に三人乗るのも四人乗るのも同じならば、四人のほうが良い。五人だと窮屈だ。
 というわけで銀行強盗は四人いる。
《『陽気なギャングが地球を回す』/祥伝社文庫p.6》

 

 ほんとうはこのエピグラムふうの文章からが本篇だったんですが、担当編集者の意見をいれて、前に出す形にしました。『陽気なギャングが地球を回す』の場合、本篇の書き出しはその四人の銀行強盗たちのキャラクター紹介になります。四人の特殊能力をざっと紹介して、いったいこの四人組がどんな銀行強盗をやるのか、読者の期待を煽るというか、ハリウッド映画がそんな感じですよね。あとはそれを逆手にとって、この冒頭は、主役たちを紹介している場面なんだな、と読者を油断させておいて、そこに伏線を張ろうとも考えました。この手法、実は、大沢在昌さんの『新宿鮫』で学んだんですよね(笑)。『新宿鮫』は冒頭で、刑事の鮫島が人を助けるんですけど、「主人公の顔見せだな」と油断して読んでいたのが後半で活きてくる。新宿鮫メソッドですね(笑)。また、連城三紀彦さんの初期の短篇にも、いきなり書き出しが伏線だったということはしばしばあります。処女短篇集『変調二人羽織』に収録されている「ある東京の扉」では、作中作の探偵小説が「ウーウーとサイレンの赤い音で緊急事態を周囲に捲きちらしながら、一台の車が現場近くへ停車した」で始まります。それを編集長の男が、「今のパトカーならピーポピーポだ。それに現場近くへの近くは余分だ。現場へ到着しただけでいい。赤い音という表現もおかしい」と横からいろいろ訂正するんです。じつはそれが伏線になっていて、とても感心しました。

『陽気なギャングが地球を回す』の場合、まずキャラクターの設定ありきでした。そこから〝彼らならどんな銀行強盗ができるのか〟を逆算して作り込むという苦しいやり方で、相当苦労しましたね。銀行からこれこれこういうやり口で金を奪うのに、こういう能力を持っているやつがいれば便利だ、という具合に、ストーリーからキャラクターの設定を詰めていくのが常道なんでしょう。

 

(聞き手/構成・佳多山大地)

※この連載は、『ミステリーの書き方』(幻冬舎文庫)に収録されたものです。

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