ノーベル賞晩餐会でのボブ・ディラン氏の文学賞受賞スピーチ(代読)を新聞で全文読みました。いいなあと思ったのは、「一つだけ言わせてください」と断って続けたこのくだりです。

 

 これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば、50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「一つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。一人一人が個別のアイデンティティー、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することができるのです。(演奏家は)誠実さや、それが才能の深さにいかに関係しているかが試されます。ノーベル賞委員会がとても少人数だという事実、私にとっては大切なことです。

 

5万人と50人という対比が効いていて、5万人は「一つの人格」、50人は、「自分だけの世界」というそれぞれの表現も一種の比喩ですね。
このように数字を使った表現にふれると、ぼくは村上春樹氏の『ノルウェイの森』のこの文章を思い浮かべます。

 

四月半ばに直子は二十歳になった。僕は十一月生まれだから、彼女の方が約七ヵ月年上ということになる。直子が二十歳になるというのはなんとなく不思議な気がした。僕にしても直子にしても本当は十八と十九のあいだを行ったり来たりしている方が正しいんじゃないかという気がした。十八の次が十九で、十九の次が十八、―それならわかる。でも彼女は二十歳になった。そして秋には僕も二十歳になるのだ。死者だけがいつまでも十七歳だった。

 

主人公のワタナベ君という大学生と、恋人の死から立ち直れない直子という女子学生の関係を軸にした物語ですが、成人となる「二十歳」をこんなふうに表現する作家がいるんだ、と驚嘆したものです。

村上氏は数字を使っての比喩が実に達者です。群像新人賞作品『風の歌を聴け』を読み始めてすぐ出会ったこの比喩表現には新鮮なショックを受けました。

 

一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした。

 

前置きが長くなりましたが、今回の「名文を真似る」は比喩表現についてです。修辞法の一つで、特徴をよくあらわすほかの似たものを使って、わかりやすく表現することですね。

手元の辞書では〈例えば「赤いバラのようなくちびる」というと直喩、「赤いバラのくちびる」というと隠喩。ほかに、諷喩(寓喩)、活喩(擬人法)など〉と説明されていますが、そうとわかったからといって比喩が達者になれるわけではありません。

それでは、より実践的に比喩表現を身につけるにはどんな手立てがあるのかですが、まずは村上氏の文例を味わうところから取りかかりたいと思います。

余談ながら、かつて比喩表現の多用は批判の対象になっていました。巧みな比喩といっても所詮は飾り。ゴテゴテと大袈裟なフリルのついたドレスを着たがる少女のようなものだといった趣旨のことが、名だたる作家の文章論にあるほどでした。とりわけ小説言語としての比喩は、例外的な修辞法だとする空気が支配的だったようです。

でも、比喩の多用でもってその世界に新しい風を吹き込んだ作家が出現しました。村上氏がその人でした。並の、陳腐な例えだったら、それだけで村上作品はやり玉に挙げられたでしょう。ですが、比喩そのものが持つズレのユーモアや妙味が、文章に格別の味わいをもたらしているとあっては、清風のように新しい小説言語の誕生であったのかもしれません。

氏自身は比喩をこう定義しています。
「他者への付託を通して行われるイメージの共有化」

それに倣っていえば、村上作品の比喩で付託する対象は大きく①よく似たもの②よく似た状態③よく似た事柄――の三つに分類できます。
①②③それぞれ二つずつ文例を挙げてみましょう。

 

①の場合
ボーイはにっこりして、賢い猫のようにそっと部屋を出て行った。(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)
陰毛は行進する歩兵部隊に踏みつけられた草むらみたいな生え方をしている。(『1Q84 BOOK1』)

 

②の場合
「大学でスペイン語を教えています」と彼は言った。「砂浜に水を撒くような仕事です」(『1973年のピンボール』)
「でもそのときの僕らには、それがすごく大事なことに思えたんだ。(略)風の中でマッチの火を消さないみたいに」(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)

 

③の場合
雑誌自体の売れ行きや収益はほとんど期待されていない。だから文芸誌がその日のうちに売り切れることは、沖縄に粉雪が舞うのと同じ程度に耳目を引くニュースになる。(『1Q84 BOOK1』)
外に出て仕事を持つというのは生易しいことではない。庭に咲いているいちばん綺麗な薔薇の花を一本摘んで、それを通りを二つ隔てた先で風邪で寝込んでいるおばあさんの枕元に届けて、それで一日が終わるというような平和でこぎれいな代物ではない。ときにはろくでもない奴らと一緒にろくでもないことをしなくてはならないこともある。(『ねじまき鳥クロニクル』)

 

なるほど比喩表現とはそういうことか、と理解は深まったかと思われますが、問題は実作面です。理解できたからといって達者に表現できるかというと、それは別問題です。実際に文章を書く上では理解の上に要領がいるのです。物事をうまく処理する方法、つまりコツですね。

次回は比喩表現のコツについてです。

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