10月15日

出版社を介し、データ管理会社から「マイナンバーを提出せよ」との封書が届く。同業者の方はご存じだろうが、こうしたものはお付き合いしている出版社の数だけ届く。僕の場合はこれが九通目(あと六通は届くはずだ)。
制度開始の頃は物珍しさも手伝ってこまめに提出していたのだが、出版社ではなく、データ管理会社に提出するかたちが増えた頃から考えを改めるようになった。カードや身分証のコピーを添付する手間もそうだが、当然コピー代は自分持ちだ。つまり自分の首を斬るための刀を磨いておけと言われるのに等しい。
そんなこと、誰が好き好んでするものか。
会社員時代も、そして物書きになってからも、僕の収入はガラス張り状態だ。脱税など一円もしたことのない模範的な国民と言えよう(ただし人間としてはちっとも模範的ではない)。そういう人間に向かって「へっへっへっ、一円の見逃しもなく税金を分捕ってやるからよ、ちゃっちゃっとマイナンバー教えろよな」と言っているのに等しい。
そんなもの、誰が教えるものか。
しかも出版社が独自に管理するのではなく、大手のデータ管理会社に委託されている。いや、僕だって個人情報保護法くらいは知っている。個人情報の委託元が委託先を管理・指導するという条項も知っている。しかし同時に、こうした大手のデータ管理会社で実際に情報の入力作業をしているのが正社員ではなく、そのためなのか度々漏洩事件を起こしていることも知っている。
そんな危ない会社、誰が信用するものか。
従って最近はこうした用紙には「データ提出を拒否します」と書いて送っている。提出は義務ですとか何とか謳っているが、提出しなくても今のところ先方からは何も言ってこないし、提出が義務かどうかは知らんが罰則はない。第一、払うものはちゃんと払っているのだ。文句あるかこの野郎(怒りに我を忘れている)。

10月16日

10月というのは年末ランキングの締め切りという事情もあり、大御所や名のある作家、その他ランキング狙いの書籍が雪崩を打ったように出版される。すると当然のごとくSNSをしている作家さんたちは自著の宣伝に忙しい。
『10月〇日発売です。よろしく!』
『新刊の表紙はこれ!』
『発売一週間の初速で全てが決まってしまいます。店頭で見掛けたらすぐに買ってください』
『この新刊に作家人生がかかっています』
出版不況の折、著者本人が自著のPRに勤しむのはやむを得ないことだが、こういうPRをすればするほどフォロワーが減っていくという傾向が報告されている。そういうものなのだろうと、両方の気持ちが分かるのでとても切ない。
僕自身はSNSによる自己宣伝に懐疑的だ。ネット社会と言われるが、そもそも大抵の人間は関心のないトピックスには近づこうともしないので、著者が懸命に声を張り上げても元からのファン以外には声が届かないように思ってしまうのだがどうか。
仮に僕が似たような販促活動をするとしたら漫画家の田中圭一さんがやったように、自著を買ってくれたとツイートした人全員にリツイートするという手法だが、こんなのはよほどの根気と臨機応変さがなければ続くはずもなく、なまけものの僕が完遂できるとは到底思えないのだ。ああ。

10月17日

17時、新刊『セイレーンの懺悔』PV撮影のために三省堂神田神保町本店へ。小学館さんのスタッフを待っていると、カメラを担いだ人が店の前に到着。ひと目で撮影スタッフさんと知れるが、近寄ってこない。後で聞いたらドッキリを狙って素知らぬふりをしていたとのこと。いや、もう最初からバレてるって。
そうこうするうちに佐藤青南さんが到着。前に書いていた作家のゲストというのは佐藤さんのことだ。二人で話している最中に撮影が開始される。その後、小学館の新社屋に移動して新刊告知のシーンを撮る。一発OK、5分で終了。同行していた編集者のMさんは「何でこんなに早く終了するんだろう」と不思議がっていたが、なに、本人に何の拘りもないからです。後は三省堂Aさんのパートを撮影するだけ。
佐藤さんとMさんを交えて会食。この席で佐藤さんから個人的におめでたい話を聞く。次にMさんから業界的に哀しい話を聞く。いずれも感慨深い話だったが、やはり業界の残酷話はいつまでも胸に応える。もうホントに冗談抜きで四六版の本が売れなくなっているとのこと。そんな中で四六版を出し続けていられる僕は幸運以外の何物でもない。
Mさんというのは天然なのかそれとも狙っているのか、アルコールも回っていないのに佐藤さんの女性関係について根掘り葉掘り訊き出している。佐藤さんは途中からしどろもどろになるが、見ていて面白いので僕はずっと見物していた。そのうち、Mさんはとうとうこんな質問まで口にする。
「佐藤さんに、中山さんはどんな風に映っているんですか?」
答える方も聞いている方も、とんでもなくきまずい。あんまりきまずいので僕は最近の初版部数事情の話に切り替えた。
もっときまずくなった。

10月18日

現在、『校閲ガール』が放映されており、扱う職業が職業なだけに同業者たちの関心を惹いている。実際に校閲に携わっている方たちが「こんなことはありえない」とか「放送事故クラスの誤り」とか、まあ色々と喧しい。ただ間違いを指摘したくなるのは校閲さんの習い性みたいな部分があるので、これはこれで納得した次第。
気になったのは「こんなことは有り得ない」という指摘。
僕も校閲さんのお世話になって久しい。誤字やら慣用句の間違いやらもあるので、指摘される度に「僕のような文盲が小説家になってよかったのだろうか」と煩悶することもしばしばだ。しかし、「現実にこのようなことはないそうです」という指摘があった時にはちょっと考える。確かに有り得ない設定であるが、それを承知の上で書いていることが多い。無論リアリティには欠けるだろうが、リアリティを失う代償にドラマが作り出せればOKだと思っているし、大体リアリティなんていうものは設定以外でいくらでも表現できる。おそらく物書きと校閲というのは目指しているベクトルが違うのだろう。どちらがどう、ということではなく、何でもそうだが匙加減の問題だ(も一つ言えば作家の力量)。
校閲で忘れられないエピソードがある。僕は第8回の「このミス」大賞を太朗想史郎さんとでダブル受賞したのだが、彼の受賞作『トギオ』は一種のディストピア小説で、発表当時は物議を醸した。さて、その太朗さんの初校ゲラの話なのだが、不思議なまでに校閲さんの指摘が少なかったのだという。さすがだなあ、と感心していると担当編集者さんからはこんな答えが返ってきた。
「いえ、描かれている世界観が独特過ぎて、誤字なのかどうか判断がつかなかったらしいんです」

10月19日

本日より「メフィスト」連載用『悪徳の輪舞曲』に着手。掲載誌が季刊であるため一回分の原稿が125枚。これを5日間で脱稿しなければならない。ひいこら。
15時、喫茶店にて集英社Tさん・Nさんと『TAS 特別師弟捜査員』刊行についての打ち合わせ。Nさんは全編に目を通した上で、「十代の台詞にリアリティがありました。今日びの子はああいう喋り方しますからね」と褒めてくれる。まあ本人にしてみれば年寄りの冷や水みたいなものだったんだけど。『TAS』は2018年9月刊行予定となる。ついでに『アポロンの嘲笑』の文庫化について訊ねると来年にはそろそろとのこと。ただ、ここでNさんが悩ましげにこう言った。
「だけどあれ、原発の話ですからね。文庫にもしづらいなあ。今回の『TAS』もそうですけど中山さん、平気でタブー書いちゃいますから」
それは僕も自覚していることである。ただし不思議なことに今まで一度として関係各所から抗議を受けたことがない。きっと僕がSNSを一切やっていないお蔭なのだろう。
新連載については年内中にTさんからリクエストをいただくこととする。もっとも連載をスタートするのが早くても書籍化は2021年の5月以降になってしまうのだけれど。
時間が余ったので「このミス」大賞出身者の宣伝をしておく。ところが日頃の行いが悪いせいか「中山さんが後輩作家さんたちをプッシュする本当の狙いは何なんですか」と勘繰られる。いや、だからデビュー直後の新人さんはバックアップしてあげたいんだったら(ライバルになったら潰しにかかるけど)。
19時、小学館新社屋において雑誌「きらら」の鼎談企画に参加。『セイレーンの懺悔』について三省堂Uさん・有隣堂Sさんを交えてメイキングなどの話を1時間あまり。残りの時間はお馴染みの業界危険トークで盛り上がる(いや、盛り上がったのは僕だけだったかも知れない)。席上、僕がデビューして6年目であることを知ると、Sさんは大いに驚いた様子だった。
「もう10年以上のベテランだと思ってました」
ええ、そりゃあもうデビュー当時からふてぶてしいヤツと言われていましたから。

10月20日

朝一番の新幹線で岐阜に戻る。
書斎に入ると案の定、ドアの取り付け工事や壁紙の張り替えで移動させたらしく、色々なものが動かされている。特に難儀だったのがスピーカーで、折角ミリ単位まで追い込んでいたというのにまた一からやり直し、結局設置のし直しだけで1時間以上を浪費してしまった。妻に聞くと、下請けの施工会社がひどく雑だったとのこと。密かに殺意が芽生える。
各調整を済ませてから、新しい防音ドアと新しいシステムによる『E.T.』を観賞。おおお、これはすごい。冒頭の森のシーンからエリオットが怪物探しに行くまでをチラ見しただけでも、劇場では絶対に見えなかった画が観え、絶対に聞こえなかった音が聞こえる。これで家人に遠慮することなく(いや、今までも遠慮したことはなかったのだけれど)映画に浸れる。調子に乗ってその後三本観ていたら、あっという間に夕方になる。しししし、しまった。原稿書くの忘れた。

10月21日

白内障の検査で眼科を訪ねる。当然ながら外来のほとんどは後期高齢者であり、何というか孤立感がある。もっとも僕もそんなに若い訳ではないのだけれど。
散瞳薬を点眼して検査。結果は従前と変わらず。
「意外にも全然、症状が進行していません」
もっと他に言い方はないのか。まあ、症状が進行していて手術しなければならないと言われるよりマシか。
実際、僕のような仕事をしている者にとって視力と思考能力こそが生命線だ。足腰が立たなくなってもキーは打てる。指先が駄目になったら口述筆記がある。しかし目と頭がやられたら廃業するしかない。僕が量産に勤しんでいる理由の一つは、いつ両目とも駄目になるのかという恐怖があるからだ。視力が健在であるうちに、可能な限り小説を書いておきたい。これは本音だ。
散瞳薬のために瞳孔が開きっ放しになり、治るまで4時間を要するという。開いた瞳孔を鏡で見ると、まるで死人のように見えるのでちょっと面白い。ただこの間は文字も碌に読めないため、執筆を一時中断して好きなサントラを聴きまくる。夕方になってからようやく瞳が回復、執筆に戻る。

10月22日

今年もまたランキングの季節がやってきた。もっとも僕の場合、もっぱら選ばれる方ではなく選ぶ方なのだけれども。
毎年、「週刊文春」のミステリーベストテンのアンケートに参加している。一人につき海外作品五作、国内作品五作を選ぶことになっているのだが毎年悩みに悩み抜いている。海外作品はあっという間に選出できるのだが、国内作品がなかなか選べない。
何故かと言えば作品数は多いものの今年はどれもこれも似たような、はっきり言ってしまうと〈日常の謎〉、〈お仕事ミステリー〉が大半を占めていて食傷気味になっているからだ。これは作家さんの作風もあるが出版社の意向も多分に働いていて、今のブームに乗り遅れてはならじと、どこもかしこもそういうミステリーばかりを出版する。百花繚乱と言えば聞こえはいいが、実態は雨後の竹の子のようなものだ(あああ、今僕は天に唾している)。もっともそうなると、出版社が本気を出している作品が自ずと目立つはずなのだが、今度は僕の趣味に合わなかったりする。ベストテンの選出と個人的趣味は別物という意見も当然あるのだけれど、折角与えられた投票権なら好きに行使したい。文句あるか。
文春のミステリーベストテンは歴史が長く今年で四十回目を数える。四十回もあれば時には妙な話があって、あるベテランの作家さんが自作をベストテンに入れたいがためにお弟子さんたちを動員し、組織票固めをして(日本推理作家協会に入会していればアンケート用紙が送られてくる。今はどうなっているのか知らない)、まんまとその年のベスト何位かを捥ぎ取ったとのこと。ところがどう好意的に読んでも十位以内に入るような出来ではなく、おまけにその他のベストテンではかすりもしなかったことから不正が発覚、次の年から規約が改訂されたという後日談もついている。たわけた、情けない話である。こんなこと、ヤラセでやっても読者はすぐに見抜いてしまうのに。げに怖ろしきは売れない作家の妄執なり。
最近は僕も無理に五作を選ぼうとは思わなくなった。琴線に触れる作品が一作しかなかったのなら、それはそれでいいではないか――ということで、海外作品二作と国内作品三作を選んでさっさと投函する(付記 これも規約で自作は選べないから、僕が選出した国内作品というのは、もちろん他の作家さんの作品だ)。

10月23日

家内は室内をごてごてと飾り立てたりモノを置いたりというのが嫌いな性分のため、我が家のリビングはまるでモデルハウスのように生活感がない。生活感が嫌いなのは僕も同様だからそれは一向に構わないのだが、そういう妻が気紛れなのかどうか「一つくらいはインテリアが欲しいわね」と言い出した。
そこで僕が選んだのがサンドピクチャーだった。水を平らに張った絵の中で様々な色の砂が落ちてきた模様を作り出すというアレだ。
買った直後から、その面白さに夫婦とも魅入られた。とにかく二度と同じ絵が作れないので飽きるということがない。じっと見ていると時間を忘れるので、ついつい執筆の時間が削られていく。いや、だからこの砂の一粒一粒が小説の構成要素とすればですね、同じ要素を使っていてもそのバリエーションで幾通りものストーリーが作り出せるという論証がここにあってですね、決して小説書きを疎かにしている訳ではなくてですね。

10月24日

KADOKAWAのHさんより原稿の督促メールが届く。
『締め切りは明日ですが、今月は他の連載が重なっていると聞いています。本当に大丈夫なんでしょうか?』
素晴らしい。締め切り前の督促なのだ。これでお分かりかと思うが、僕はそれだけ信用がない。全ては何でもかんでも安請け合いをする僕の自業自得である。
すぐに弁解のメールを返信しておく。この業界に入ってからというもの、弁解の仕方や言い訳の技術が飛躍的に向上した。喜んでいいのやら悲しんでいいのやら(悲しめよ)。
声優の肝付兼太さん逝く。藤子不二雄作品は言うに及ばず、様々なアニメで演じられたキャラクターは、その声とペアで記憶に刻まれている。
僕の魂を作ってくれた人が次々と鬼籍に入っていく。

10月25日

5月の参院選で大麻解禁を公約に謳っていた元女優さんが大麻所持の現行犯で逮捕された。まあさほど意外性もないのだが、早速動きを見せたのはテレビ局だ。以前この女優さんがレギュラー出演していた刑事ドラマ、早速差し替えになったのだ。局の自粛なので仕方ないのだろうけれど、大昔に制作したドラマだ。今回のことが予測できていたのならともかく、制作した時点で局やスタッフには何の責任もない。それなのに、何故遡って自粛するような態度を取るかと言えば、クレームを入れたがる視聴者が必ず存在するからだ。多分、彼らの存在がなければ、局だってそんな過敏なことはしないのではないか。
いったいテレビ番組にクレームを入れる人間というのは、どんな正義の味方なのだろうと思う。きっと品行方正で、生まれてこの方立小便もしたことがなく、道往く人がゴミを捨てたらちゃんと本人を捕まえて延々と理を説き、一日中テレビの前に正座してどこの番組がどんなけしからんことを放送しているかいちいちチェックしているのだろうなあ。
そんなに気に食わない番組ならチャンネルを替えるかスイッチを切ってしまえばいいのに。

10月26日

新調した防音ドアに傷がついていたのでハウスメーカーさんに連絡すると、営業担当者さんの他、ドアのメーカーの担当者さん二人までやってきた。
つまりこういうことだ。百数十万もするドアは工場生産といっても受注生産であり、ずいぶん人の手が入ってコストが高い。そんな代物なので交換だけでも結構痛いし時間も要する。製造費と人手の二重手間だ。いきおい傷がついたのは工場出荷時だったのか施工時だったのかで、どちらが費用を負担するかが決まる。単価が高い上にそれぞれのプライドと責任があるから、簡単に退くことはできない。
しかも担当者さんは三人とも女性である。
「出荷時にはちゃんと検品しますから、工場でついた傷ではありませんねえ」
「でも特別仕様のドアですから施工は慎重に行われましたよ」
「最新のドアは表層がそれほど厚くありません。梱包を外す際、乱暴にすればこれくらいは剥がれてしまいますよ」
「それは梱包の方にも問題が……」
慇懃な言葉の応酬なのだけれども、皆さん目が笑っていない。結局、1カ月かけて新しいドアを作り直すことになったのだが、僕とすればこの丁々発止のやり取りを見物できたのでちょっと得した気分(何て嫌な性格)。
宝島社より第15回「このミス」大賞授賞式の招待状(らしきもの)が届く。どうせ今回も8回組以前の先輩たちは出席してくれそうにないので、また僕たちが最古参になるんだろうなあ。どうせ憎まれ役になるのは分かっているのだけれど、これはもう海堂さんから押しつけられた使命なので参加するしかない。全く、「このミス」ほど体育会系の新人賞は他にないんじゃなかろうか。

10月27日

本日発売の「週刊文春」、某男性アイドルグループがカネでレコード大賞を買ったとのスクープ。相変わらず飛ばしているなあ。先の大麻所持で逮捕された元女優さんの一件と同じく「ああ、やっぱりな」というニュースなのだけれど、受託側の請求書写しを入手している。まあちょっと考えたらどういうルートでこの写しが流れたのかは見当つくのだけれど、そういうルートを確保していることがすごい。おっとりした社風だというのは、僕の早合点だったのかも知れない。
今月号の「日経サイエンス」を購入。特集はノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅教授のオートファジー理論。ニュースで見聞きしても概要しか分からなかったので、ちょうどよかったのだ。もちろん小説のネタにすることは考えていないのだけれど、知識はないよりあった方がいい。普段読まない記事も、こういう機会に読んだ方がいい。第一、読書なんて目的を決めてするものじゃないというのが僕の持論。この持論で50年、ようやく今になって役に立っている。いや、もっと本音を言ってしまえば、多くの人が知っていることを知らないのが怖ろしくて堪らないという気持ちもある。これは、僕が基本的にあまりに物識らずだからだ。
17時、講談社KさんとKADOKAWAのHさんより、ほぼ同時に原稿督促される。苦慮した結果、前者は本日中に、後者は29日までに仕上げることとする。毎度毎度、多重債務者のような気分になるが、慣れればこれもまた快感(……な訳あるか)。

10月28日

夜半に『悪徳の輪舞曲』第二回目を脱稿。何とか講談社さんとの約束を果たした後、KADOKAWAさんの原稿に移るが、さすがに根を詰めたので2時間だけソファに横たわる。この際、決してやってはいけないのは寝室のベッドに向かうこと。最近、妻が寝室の模様替えをしたことも手伝い、居心地が良過ぎる。ベッドに倒れこんだら間違いなく惰眠を貪ってしまうだろう。
本日、幻冬舎さんから「小説幻冬」創刊。同社幻冬舎プラスのHPには「この時代に狂気の沙汰」と謳っているが、これは決して過言ではない。喩えて言うなら、広島の負けが込んでいる時、カープファンの群れの中に単身虎ジマの帽子とユニフォームで割り込むようなものだ(ちょっと違うか?)。つまりそれくらい文芸誌は売れなくなっている。現在、各社の文芸誌が挙って電子書籍に移行しているさ中、この創刊はまさに蛮勇。元より幻冬舎さんは「他では出版できないものでも、出版する価値があるのなら出す」会社という印象があり、何というか孤高の存在。冒険的な試みなだけに他社さんも息を詰めて推移を見守っていることだろう。
執筆のご依頼があれば喜んでお受けするのだが、創刊時のラインナップを眺めると、とても僕ごとき物書きの入り込むような余地はないんだよなあ。しくしく。

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