前回、藤沢周平氏が描く、“濡れ場”を紹介しました。江戸市井もの(世話物)の名作『海鳴り』から引いたのですが、ちっともいやらしくないんですよね、と知人の女性から感想を頂きました。そうなんです。そこが藤沢作品に漂う気品でして、多くの女性ファンがついたのも、登場する女性のたおやかさに魅了されたからではないでしょうか。

 いま、ぼくの手元に『オール讀物』(平成22年7月号)があります。藤沢周平記念館が同年四月に氏の生まれ育った山形県鶴岡市の城址公園内に開館したのを受けて「藤沢周平、故郷に帰る」の大特集が組まれています。愛娘の遠藤展子さんの特別寄稿「父の里帰り」も開館までの長い道のりと父への思いをつづっていて貴重ですが、一方、藤沢作品を愛する女性三人(あさのあつこ×岸本葉子×松岡和子)の熱愛座談会も興味深いやりとりに終始しています。

 例えば岸本さん、「『冤罪』という短編集の表題作に、明乃という女性が、夫となる人に藤の下で見出される場面があります。木陰に隠れているつもりで、小用を足していたんです」、受けてあさのさん、「恥ずかしいですよね。白い臀を見られて」(笑)とおっしゃるが、岸本さん、「この描き方がやさしくて温かみに満ちていて、女性は添え物でしかないと思っていた時代小説の分野にも、こんな書き手がいるんだと驚きました」と話しています。

 この場面は本で読んで頂くとして、ここでは次のやりとりにこだわりたいと思います。

 

 松岡 藤沢さんの描写についてなんです。たとえば『蝉しぐれ』の冒頭で、文四郎が登場してすぐの場面にこうあります。
<頭上の欅の葉かげのあたりでにいにい蝉が鳴いている。快さに文四郎は、ほんの束の間放心していたようだった。>
普通なら「放心していた」で止めると思うんです。「ようだった」という描写を読んだとき、私はフワッと目眩がしたんです。
三人称が一人称に溶けていく。
(略)文四郎が欅の下に立っている姿を読んだ次の瞬間に、フワッと文四郎の中に引っ張り込まれてしまう。藤沢さんの全作品を調べれば要所要所で「……のようだった」が使われていると思うんです。

 

 岸本さんは「もし意識的だとしたら、すごいですよね」と受け、あさのさんは「小説のなかに、本当の人間が描かれているからではないでしょうか」と感想を述べていますが、「名文を真似る」と題してのこの連載、長めの文章へのこだわりは当然として、結構難しい文末の表現もぜひ真似てほしくて紹介するしだいです。

 実はぼくは「……ようだった」も、そう来ますか、でしたが、藤沢氏の短編『夜の雪』のラストシーンの文末表現も感嘆しました。「ひとかどの商人になったらかならず会いに来ます」と言ったままの男を待つおしづの心情が読ませどころですが、とりわけいいのがラストの数行です。

 

 おしづは縫い物を下におろすと縁側に出た。雨戸を繰ると、夜気がほてった頬を気持よくなでた。雪はもうやんでいた。縁側にうずくまったまま、じっと雪を眺めていると、門の戸がことことと鳴った。はっと耳を澄ましたが、物音は一度だけだった。誰もいない夜の道を、風が駆けぬけて行ったらしかった

 

 最後の一行の「風が駆けぬけて行ったらしかった」、心に沁みました。正直に告白します。この「……らしかった」を一度書いてみたいという思い、切なるものがありまして、いつしか頭の中に宿っていたのを引き出して書いたのが幻冬舎刊の拙著の『今日という一日のために』に所収の「これが人生なんだな、とつぶやいて」です。
「東京に木枯らし一号が吹いた日、ぼくが足を踏み入れた森も木々がざわざわと音を立てていた」
 そんな書き出しで起こしたエッセイをこう結びました。

 

 中年期を人生の秋という。ぼくなど、もうそこまで来ている冬を感じる年齢だ。樹齢何百年の巨木や古木を見上げては、ああ……と声をもらし、生きているとはこういうことなんだと思う一方で、同じくらいの悲しみを覚えている自分がいる。そしてこれが人生なんだな、とつぶやいている自分もいる。

ぼくは一歩一歩、足元を踏みしめるように森の出口へ向かった。さっきから同じ言葉を二度、三度、胸の中でつぶやいている。
 大丈夫、なんとかなるさ。
 鳥がまたキキィと鳴いた。一陣の風が吹き抜けたらしかった

 

 「吹き抜けたらしかった」にしました。大丈夫、真似てもちゃんと用いれば、藤沢さんも納得してくれるだろうと自らに言い聞かせつつ。

Twitter Facebook